「初心忘るべからず」という話が出ると、どうしても思い出してしまうことが1つあります。それは「初心」がなかったらどうするか、というケースです。
どういうことか・・・ちょっと分かりにくいかもしれません。少し噛み砕いてお話ししてみましょう。
「法学部生」は「法学」をほとんど志向していない
1999年、夏のことでした。少し前に体を壊して演奏活動を休まざる得なくなった私は、暇にしていても仕方がないといった理由から、それまで現場で気になっていた基礎的な問題を研究するため社会人大学院生の学籍を得て、博士号を取ったばかりでした。
当事私は作曲や指揮の依頼仕事、テレビ番組「新・題名のない音楽会」の音楽監督などで生計を立てながら、自分のライフワークである作品の創造や演奏に取り組む生活でした。
そんな時、東京大学に新設される情報部署に私用の音楽の研究室を創設するから助教授に就任しないか、という話をもらいました。いろいろ考えた末、引き受けることにしました。
これは1877年に旧制の東京大学が創設されて以来、122年目にして初めての音楽実技教授職として任官することになったものでした。当事34歳だった私は、それはそれは意気に感じて、できることは何でも骨惜しみせず、ベストを尽くして自分たちのグループを作り育てることに全精力を注ぎ込みました。
あれから約15年、全く新しく原理から音楽音響やその脳認知を取り扱う理論や計測システムなども創り出し、研究室として系統だって内外トップの演奏家たちとコンスタントにオペラやコンサートの演奏を展開する仕組みも生まれました。
また、バイロイト祝祭劇場やテアトロ・コロン、新国立劇場など世界有数のオペラハウスとのコラボレーション、ケルン大聖堂、ルクセンブルク大聖堂、国内ならカトリック長崎大司教区の木造教会群の音楽音響計測と時空間設計のプロジェクト、さらには東大寺、四天王寺、東西本願寺別院をはじめとする全国の仏教寺院との音場計測・解析の協働など、10年目くらいからどうにか創造、演奏、基礎研究の3つの柱で内外の仕事がどうにか軌道に乗ってきたというところです。
この間、並行して大学で持たされていた必修の授業などで学生たちと接し、非常に強く感じたのが、言ってみれば「初心の欠如」というような症候群なのです。
例えば、東京大学教養学部に「文科I類」「理科III類」といった「科類」の別があり、それらごとに入試が実施されています。
文科I類というのは「主として法学部に進学する科類」、また理科III類というのは「主として医学部医学科に進学する科類」ということになっているのですが、実際にこれらを受けて入ってくる連中の大半は、実は「法学に興味がある」「医者になりたい」で進んでくるわけではないのですね。
教養学部で全学必修・文理共通の「情報処理」という科目を7年間担当し、文科I類から理科III類まで合計3000人ほどの学生に単位発給してほとほと痛感したのですが、大半の受験生は、別にその学類の専門が学びたくて、そこに進学してくるわけではない。