2011年末の12月26日、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」から中間報告が提出・公開された。

 同委員会のウェブサイトから、PDF化されたその概要、報告書本文、同資料がダウンロードできる。報告書本文だけでA4サイズ・507ページというボリュームだが、前半部、特に第3章「災害発生後の組織的対応状況」、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」を読み進むと、事態の展開が再構成され、刻々と変化してゆく事象とそれに対応する人々の動き、混乱が浮かび上がってくる。その意味ではまさしく一編のドキュメンタリーである。

 特に事故現場での状況の進行を追って整理した部分は、さすがに専門用語や略号が次々に現れるし、科学技術に関する多少の基礎概念がないと、すぐには理解できないことも多いかと思うが(例えば「外部から注水する時、容器内の圧力よりも高い水圧をかけないと水は入ってゆかない」など)、そこに描き出される事態の進展の早さ、それに対する対応と混乱、現場の人々の必死の活動、しかし判断や対処の失敗・・・などが圧倒的な迫力を持って読む者に迫ってくる。

枝野経産相、東電に一時国有化検討指示

いまだに水素爆発で屋上部と外壁が吹き飛び、鉄骨が飴のように歪んだ姿のままの3号機・原子炉建屋(2011年11月2日提供)。(c)AFP/TEPCO
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 同時に、これまで明らかにされていなかった多くの事態、その背景説明などが記されていることも興味深い。そこにも書かれていないことはまだまだあるとは思うが、「そうだったのか」「やっぱり・・・」と確かめ、考えさせられることは多い。

 その一方で、この「調査・検討委員会」のあり方、人選、この「中間報告」に付与された「見解」や「提言」については、様々な見方がある。しかし、「調査報道」(委員に加わっている柳田邦男氏がかつて著した『マッハの恐怖』は、日本における調査報道の端緒とも言える労作だった)的なアプローチによる事実の再構成、という部分だけに絞れば、現時点で得られる貴重な資料であることは間違いない。

 ここでは私なりに読み解いたポイントのいくつかを整理してみよう。

「危機管理センター」に集わなかった行政トップ陣

 何よりも、核分裂炉や使用済み燃料が「人間の手に負えない」状態に立ち至る、その直接の原因は地震よりもむしろその後に襲ってきた津波だった。事態の再現はまずここから始まっている。

 地震に襲われた直後、稼働していた1~3号機はいずれも自動的に緊急停止(スクラム)モードに入り、制御棒は全挿入されて炉心冷却システムも作動した。

 外部からの電力供給は送電設備の倒壊などで止まったが、非常用ディーゼル発電機は必要な所では始動している。核分裂反応が連続する「臨界」はこれで抑制されるのだが、核燃料の中では「崩壊熱」が出続ける。炉心も高温のままであって、連続的な冷却は必ず必要・・・というところに津波が襲う。

 建屋は冠水、浸水して、ディーゼル発電機や配電設備が壊滅。炉心や核燃料を冷やし続けるために冷却水を循環させる動力が失われた。その冷却水の熱を取り去るために使う海水を汲み上げるポンプ類は、海岸近くに並べられていたから、これも全滅。炉心に海水を直接送り込もうとしても、簡単にはゆかない状態になった。そこからすべてが同時並行的に進行してゆく。