いわゆる国債「暴落」シナリオがいつから現実味を帯びるのかを考える上で、通常引き合いに出されるのは、金額的なバランスである。

 筆者を含む多くのエコノミストが用いているのが、日銀が発表している資金循環勘定を基にした計算である。例えば、(1)2009年12月末時点で1456.4兆円である家計金融資産のうち、借入を除いたネットの資産である1148.3兆円という数字を、まず把握する。次に、(2)中央政府と地方公共団体を合計したネットの債務残高(国債・財融債・国庫短期証券・地方債についての負債-資産)を計算(2009年12月末時点で622.9兆円)。(1)から(2)を差し引いて出てくる「すき間」とでも呼ぶべき金額、すなわち525.4兆円を、「国債消化余力」の大まかな数字と認識した上で、その縮小ペースから、いつ頃まで国債消化が大丈夫か、すなわち海外マネーに頼らずに、増発される国債・地方債の消化が家計の潤沢なマネーによって、いつまで可能かを考えようとするものである。ここで、2009年10-12月期までの3年間について見ると、1年当たりに均した縮小ペースは51.8兆円。「すき間」である525.4兆円を51.8兆円で割ると、まだ10年強は国債の国内家計マネーによる消化は大丈夫だ、という話になる。

 また、足元では金融機関における預金の積み上がりが順調で、「すき間」の縮小を妨げる方向に作用している。だが、財政運営が拡張バイアスを帯び、赤字財政が継続している中で、大きな流れとして「すき間」がなくなる方向であることに変わりはない。

 企業部門がマクロで見て資金余剰だから国債消化の「すき間」はもっと大きいはずだ、という見方もあるが、いずれ景気がそれなりに回復して企業が資金調達意欲を強める場合には、状況は変化し得る。企業の資金ニーズが政府部門のそれとぶつかり合う「クラウディングアウト」のリスクがあることも、認識しておかなければなるまい。

 また、上記の試算は、家計金融資産の「国外逃避(キャピタルフライト)」が大規模に発生することはなく、資産運用におけるホームバイアスが今後も強いままであることを前提にしていることも留意点である。2009年12月末時点で、家計金融資産のうち、外貨預金が5.3兆円、対外証券投資が7.7兆円。両者の合計は家計金融資産全体の0.9%ほどにとどまっており、今のところキャピタルフライトの動きは、きわめて限定されたものにとどまっている(このほか、2009年10-12月期分の資金循環勘定から新たに計上されることになった外為証拠金取引があるが、金額は小さい。また、投資信託の中に外国投信もあるが、日本証券業協会が3月23日に発表したところによると、今年2月末時点で5.7兆円にとどまっており、上記の結論に変わりはない)。

 しかし、仮に日銀券や日本国債の信認に傷をつけるような過激な経済政策が今後取られるようだと、話は悪い方向で変わり得る。

 さらに言えば、マーケットというのは常に先読みをしながら動くものであるため、フルにあと10年持つかどうかは不明確である。10年経ったところで断層的な危機が生じるというのではなく、日本の国債市中消化における海外マネーのプレゼンス増大の方向感が徐々に明確になり、かつ市場で意識されていく中で、彼らが要求するリスクプレミアムがある一定時点から徐々に増大していくという形で「悪い金利上昇」がじわじわと起こり、かつ持続性を増していくというのが、より現実味のあるシナリオだろう。

 すなわち、筆者がもっぱら描いているのは、国債の「暴落」とでもいうようなクライマックスが断層的なイベントとして生じるのではなく、ファンダメンタルズにそぐわない「悪い金利上昇」の上乗せ部分が、ある時点から持続性を帯びて、じわじわと拡大していくようなシナリオである。日本国債の消化における海外投資家のプレゼンスが増大すると、格付け会社が日本国債の格付けを引き下げる場合、その長期金利への影響度合いは、国債消化が国内マネーでほぼ完結していた時期に比べると、当然大きくなってくる。

 ただし、そうした金額的なバランスについての単純な計算とは別の角度からも、日本の国債消化状況の安定度や財政政策の安定性をチェックしていく必要があるように思われる。

 格付投資情報センター(R&I)が2009年4月に公表した「ソブリンの格付けの考え方」を見ると、「経済ファンダメンタルズ」「政策運営力」「財政状態」「資金調達力」といった諸項目よりも前に、「政治・社会の安定度」が挙げられており、次のような記述がある。

「政治・社会の安定は、政府が適切な政策運営を進めていくうえでの基盤である。政治・社会体制の違いは問わないが、円滑な政権交代を保証するシステムの存在や、政権の安定度と債務継承の確実性を見極める。その場合、法による統治の浸透状況は重要な要素になる。内乱や暴動、革命の危険が高まれば、経済の混乱や財政の悪化につながりやすく、債務履行はおぼつかなくなる」

「宗教や民族間の対立や貧富の格差など、内乱やテロにつながる潜在的な要素にも注意を払う」

 上記は、政治体制の民主化が不十分な国々のカントリーリスクを主として意識した記述であろう。しかし、直近で発生したソブリンリスク関連の大きなイベントであるギリシャの財政危機を見ていると、先進国と呼ばれる国々においても、政治・社会の安定度合いが「悪い金利上昇」の有無あるいは大小を決定する上で大きな要因になり得ることに気付かされる。