「徳兵衛さん、このところ、何の連絡もくれなくてひどい!」―。文楽の人気演目の1つ「曽根崎心中」は、大阪の生玉神社の境内で、遊女・お初と醤油屋の手代・徳兵衛がばったり出くわし、お初がすねる「生玉神社の段」から始まる。

「曽根崎心中」ゆかりの大阪・露天神社(お初天神)

 「文楽の…」と断ったのは、実は近松門左衛門の原作には「観音巡りの段」という序があるからだ。本来は、お初が大阪の33の観音堂を巡礼する場面が最初に来て、信心深く、ピュアなお初のキャラクターを読者の意識にしみ込ませる。それにより、クライマックスシーンで逡巡する徳兵衛より先に、潔く死を決意したお初の運命を暗示する重要な場面でもある。しかし、この段はめったに上演されることがない。

 前回、「文楽には新作がほとんどなく、江戸時代の作品を忠実に再現している」と紹介したが、上演の仕方は時代を経て変化を重ねている。文楽の作品は、もともと12段や5段(テレビドラマで言えば12話、5話)構成の長編作品。作られた当時は幕間に休憩を挟みながら、1日がかりで上演していたという。江戸の庶民は、現代人のように時間に追われることがなく、インターネットやスポーツジムで時間を潰すわけでもない。数少ない娯楽にどっぷりと浸かり、日がな一日を楽しんでいたに違いない。

 しかし、いつの時代も観客は常にわがまま。「この名場面は、私のひいきの太夫に語ってほしい」「あのクライマックスシーンをもう一度見てみたい」と欲望をむき出しにする。また、明治、大正と近代化が進むと生活様式も変わり、1日がかりで芝居見物というわけにもいかなくなった。

 そこで、文楽が編み出したのが、「ダイジェスト版上演」という手法だ。全5話の中からストーリー展開のカギになる部分や名場面を含む2~3話をピックアップして上演するのだ。本筋の陰に隠れたサイドストーリーが割愛されるため、作品全体のバランスは多少犠牲になるものの、名場面を濃密にギュっと詰め込み、観る者の満足度を損なわないで舞台に仕上げる。頑固に伝統を曲げない半面、観客のニーズを満たすためなら、抜群の柔軟性を発揮するところが、江戸の作品が現代まで生き残れた一因と言えるだろう。

「1度で3回おいしい」舞台構成

 そして、もう1つの魅力は「1度行けば3回おいしい」舞台構成にある。例えば、今秋の全国巡業公演の夜の部は「二人三番叟(ににんさんばそう)」という、景事(けいごと、=舞踊劇)から始まった。悪霊払いと豊作祈願をこめて2人の男が激しい踊りを繰り広げるが、途中あまりの激しさに息切れしてしまい、1人が舞台の端に寄って一息つく。するともう1人がやって来て、「おいおい、サボるなよ」と突っ込みを入れる。でも、しばらく経つともう1人の男も息が続かなくなり、サボりモードに入ってしまう。踊りの見事さもさることながら、滑稽味たっぷりの展開で観客を笑わせてくれる。

 これに続くのが、「御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)」。「平家物語」や「義経記」をベースに、武蔵坊弁慶の伝説を脚色したものだ。歴史上の人物を主人公とする「時代物」と呼ばれるジャンルで、今でいう時代劇と考えればいい。

 最後の「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」は、恋愛ドラマ。飛脚屋の養子・忠兵衛が恋仲の遊女・梅川を身請けするため、預かっていた為替金に手を付けてしまい、死を覚悟して2人で追っ手から逃れていく。どこにでもいそうな、名もなき市井の人々を主人公とした「世話物」と呼ばれるジャンルだ。

「SMAP×SMAP」原点は文楽にあり

 文楽公演の多くはこうした「景事」「時代物」「世話物」を1つずつ組み合わせて(時代物の中の一幕が踊りの要素を持っているケースも)、「あれも見たい」「これも見たい」という観客のわがままを満たしている。

 ところで毎週毎週、SMAPの歌ばかりを放送していたら、「SMAP×SMAP」は長寿番組にはならなかっただろう。アイドル歌手(アイドルという年齢をはるかに超えても)が料理をしたり、ゲストと寸劇やコントを披露する番組構成が視聴者を飽きさせず、時代とともに新しいファン層を開拓してきた。

 聴いて楽しく、観て楽しい。文楽の演目構成は、まさに「SMAP×SMAP」なのだ。毎回違う「楽しい」を詰め込んだ総合バラエティー的プログラムが、「また観に行きたい」と観客の感情を高ぶらせる。また、月替わり公演を行う大阪・国立文楽劇場、東京・国立劇場で異なる演目がかかるのも心憎い。「あれも、これも」のファンは、つい新幹線で行ったり来たりしてしまう。