浜松町に名酒センターという立ち飲み屋がある。店内は10畳くらいの広さで、壁に沿って日本全国の地酒が並んでいる。500円を払い、飲んでみたい酒を3本選ぶ。すると、お猪口より少し大きいグラス3つになみなみと注いでくれる。ちょっとしたつまみもある。数年前まで勤めていた会社が近くだったのでよく行った。
イヤらしいラベルをつけた清酒「痴虫」の魅力
そこで奇妙な酒を発見した。「痴虫」という名前だ。佐伯俊男という画家の絵がラベルになっている。ラベルは何種類かあって、私が見たのは3つ。1つは、竹のぼりをしている制服姿の女学生が竹を股にはさんでしがみつき、たまらないという顔をしている図。
2つ目は、縄で縛られた裸の女性が4匹の蛸に吸いつかれて、身をよじっている図。3つ目は、貞操帯をはめた女性のそこを、学生服の男がじっと見つめているという図。なんともイヤらしい。そしてそこがなんとも魅力的だ。
さっそく「痴虫」を飲んでみた。美味しい。くせのない水のような酒だ。飲みながら、一升瓶の裏を見た。醸造元「高井株式会社」、群馬県藤岡市とあった。
こんなイヤらしいラベルの酒を造っているのはどんな人なのだろう?
先日、群馬県まで行ってきた。八高線の群馬藤岡駅からタクシーで10分、街の外れに高井株式会社はあった。広い敷地に白壁の2階建ての事務所、倉庫、醸造工場などが並んでいる。事務所の1階のウインドーには酒樽や一升瓶が飾られている。
どれも「巖(いわお)」という酒だ。「上州の寒梅」という宣伝文句がついている。「痴虫」はどこにもない。受付の女性に社長との約束を告げると、応接室へ案内してくれた。
社長が入ってきた。紺のピンストライプのスーツを着て、髪を七三に分けている。俳優の平幹二朗のような顔立ちで、時代劇が似合いそうだ。名刺をもらった。高井作右衛門と書いてあった。
「立派なお名前ですね」私がそう言うと、「ワッハッハッハ」と豪傑のように笑い、「私で10代目です」と高井は答えた。10代目作右衛門は68歳だという。
江戸時代から280年、10代続いた歴史ある酒屋
高井家は滋賀県蒲生郡日野町の近江商人である。初代作右衛門は18歳の時に、近江特産の麻布を入れたかごを天秤棒でかついで、中山道を麻布を売りながら歩いた。美濃路、木曽路、上州路を通って上州高崎まで辿りついた。
そして今度は高崎の産物を仕入れて、売りつつ近江へ戻った。この往復を繰り返し、お金を貯めた。「こういうのを『のこぎり商法』というんです」10代目が笑う。そして、享保14年(1729年)、初代31歳の時に、高崎の隣の藤岡で酒造業を始めた。
その後、2代目、3代目、4代目・・・と代を重ねるごとに商売の規模を大きくしていった。質屋を開業したり、三重県の津市でもう1つ酒造業を興したりした。
近江商人の経営は独特だ。社長をはじめ全従業員が近江の出身者で、家は近江にあり、全員が出稼ぎのような感覚で藤岡で働いていた。妻だけが家を守って郷里にいる。
「関東後家」という言葉さえあるそうだ。現在でも、高井家の屋敷は、滋賀県蒲生郡と群馬県藤岡市と三重県津市の3カ所にある。高井自身、高校卒業まで滋賀県で育った。そう言えば、先程からの高井の口調には、どことなく関西弁の抑揚がある。