しかし、選挙に圧勝し、3月に訪米することで、高市首相は米中首脳会談の前にトランプ大統領に対して日本の存在感を示し、楔を打ち込むことができるようになりました。盤石な基盤を手に入れた高市とはディールが出来る、つまり、高市と約束をすれば、日本は動くと、トランプに思わせられる状況を作ることが出来ました。

 外交の世界には“If you are not at the table, you are on the menu”(もしあなたがテーブルについていなければ、あなたはメニューに載せられる)という言葉があります。まさに、日本が「メニュー」にされることなく、交渉の「テーブル」につくための重要な一歩を踏み出したと言えるでしょう。

「歴史は韻を踏む」選挙から見えた民衆の姿

 さて、ここまでは国益をかけた外交という視点での感想を述べてきましたが、次に、今回の選挙で明らかになった民衆の動き・日本国内の状況について、思うところを述べたいと思います。

 カール・マルクスはかつて「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と説き、小説家マーク・トウェインは「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(“History doesn't repeat itself, but it often rhymes.”)」と喝破したそうですが、繰り返しているのか韻を踏んでいるのかはともかく、今回の選挙を見て、私はまさにそれらの言葉を実感しました。結局のところ、大衆が求めるのは古代ギリシャの衆愚政治の時代から変わらず、「パンとサーカス」なのだな、と。

 かつてジョン・F・ケネディは「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何をできるのかを問うてほしい(“Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.”)」と訴えましたが、今の選挙の論戦は、その言葉とは真逆の方向に向かっているように見えます。

「パン」を求める声は、「消費減税」や「手取りを増やす」といった公約に集まります。そして「サーカス」として、有権者の関心は移ろいやすく、少し前には国民民主党の玉木雄一郎氏や参政党の神谷宗幣氏がブームになりましたが、今回は高市氏やチームみらいの安野貴博氏といった新しいアイコンが消費されました。一種のエンタメです。

 日本国民の多くは、「政治家に何かをしてもらうのが当たり前」という「甘えの構造」に陥っているのではないでしょうか。G7で最低となり、世界全体で見ても40位前後を低迷している一人当たりGDPのデータが典型ですが、各種経済指標や社会指標から見て、日本は世界での地位をどんどん落としてきています。国力を象徴的に表すものとしての通貨(円)の力は、実効レートでみると、ちょうど1970年代前半のレベルになっています。つまり、世界の中で日本は、どんどん貧しくなってきているわけですが、それは、国民全体の責任であるわけです。

 しかし、その事実を認めたくない多くの日本国民は、自分たちが一生懸命頑張っているのに、どんどん貧しくなっているのは(例えば、輸入物価が上昇するなどしてインフレ経済になっているのは)、政治がいけないからだ、と、他者のせいにしてきているわけですが、何人かの例外はいるにせよ、私が見るところ、正直、政治家ほど必死に頑張っている人は「いない」と思います。

 実際、私はかなりの政治家や官僚との付き合いがありますが、その多くは私たちのために身を粉にして働いてくれています。例えていうなら、国民は子供のように、親のような存在(政治や行政)に甘えているように見えます。生活が苦しいからもっと小遣いをよこせ、と。もっと政治家が働け、と。

 本来、民主主義においては、国民は「親」であるべきで(民が「主」なので民主主義)、パンやサーカスを求めるのではなく、「子」としての政治を育てなければなりません。政治家のパーティの多くが「○○君を育てる会」のように命名されていますが、元をただせば、政治・行政へのリスペクトを持ち、社会全体で支え、育てていくという意識がなければ民主主義は成り立ちません。残念ながら、自らが多少犠牲になっても、政治家を育てていく、そんな気運が薄れているように感じます。

 その結果、優秀な人材は「公」のために尽くすのではなく、より儲かる世界へと流れていってしまう。少子化、地域の衰退、公務員に優秀な人材が集まらないといった問題の根源も、家のため、地域のため、公のためにという「公のために貢献する」という意識が希薄になったことに遠因があるのかもしれません。自分のため、を中心に考えると、子どもを産み育てるのは時間やカネのかけかたとしてバカバカしくなりますし、地域に残るよりは所得の高い都会に出ようとするでしょう。民間の所得が激増する中で公務につくのも損に見えますし、ましてや、PTAや消防団のように「犠牲」がベースになっている役職には誰もつかなくなります。