企業のAI活用戦略への根本的な問い

 多くの企業がAI活用の次なるステージとして「マルチエージェント(複数のAIが協調して動く仕組み)」の導入を検討している。営業、法務、財務といった異なる役割を持つAIエージェントが、互いに連携しながら複雑な業務をこなす──。そんな未来像が描かれ、投資も急拡大している。

 その前提にあるのは、エージェントを十分な数と密度で連携させれば、自然に豊かな協調と集合知が生まれるという期待だ。ところが、Moltbookの研究はその期待が幻想である可能性を、260万体規模という圧倒的な実証データで示した。

 規模を増やしても、交流の機会を増やしても、エージェント間の真の協調(相互に影響し合い、共通の文脈を育て、過去の経験を積み重ねていく能力)は自然には生まれない。

 研究者たちが提示する処方箋は明確だ。エージェント同士が本当に「社会化」し、実質的な協調を生み出すためには、規模や密度だけでは不十分であり、「記憶の共有」「相互影響の仕組み」「合意形成のプロセス」を意図的にシステム設計に組み込む必要があるという。

 自然に任せておけばよいのではなく、プロトコル(情報交換の取り決め)のレベルで協調を「工学的に設計」しなければならない、というわけだ。

 企業のAI担当者やシステム設計者にとって、この知見は実務的な警告でもある。

 複数のエージェントに異なる業務を担わせ、それらが自律的に連携・調整することを期待するシステムは、現時点では脆弱な前提の上に立っている。エージェントが互いに学習し、適応し、共通の文脈を積み重ねる仕組みを意図的に設けない限り、それは「社会化なき拡張性」という同じ罠に陥る。大量のエージェントは、協調する「社会」ではなく、単に「平均を生産する装置」になってしまうのだ。

 260万体のAIが作り出したのは社会の幻影だった。その事実が、これからのAIエージェント活用の設計思想に対して根本的な再考を迫っている。

小林 啓倫(こばやし・あきひと)
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業、大手メーカー等で先端テクノロジーを活用した事業開発に取り組む。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』『ドローン・ビジネスの衝撃』『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(草思社)、『データ・アナリティクス3.0』(日経BP)、『情報セキュリティの敗北史』(白揚社)など多数。先端テクノロジーのビジネス活用に関するセミナーも多数手がける。
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