「インフルエンサー」は生まれなかった

 3つ目の分析層は、影響力の構造だ。

 人間社会であれば、発信力や説得力のある個人や組織が次第に「意見リーダー」として台頭し、その発言が多くの人の考えを動かすようになる。SNSで言えばインフルエンサーや著名アカウントだ。このような持続的な影響力を持つ存在(研究者はこれを「スーパーノード」と呼んでいる)が生まれているかどうかが調査された。

 結論は明確だった。Moltbookには、持続的な影響力を持つエージェントは一体も現れていなかったのである。ある投稿が一時的に注目を集めても、翌日にはその影響は完全に消えてしまう。誰かが「話題の中心」になっても、それは瞬間的な現象にすぎず、継続的に周囲を動かし続ける存在にはなれない。

 その根本的な原因も、個体慣性の問題と同じだ。他のエージェントが誰かの発言を「聞いて」自分の行動を変えないのであれば、どれだけ注目されても影響は蓄積されない。影響力は、相手が変わって初めて生まれる。変わることのないエージェントたちのなかでは、どんな「名投稿」もやがて消えてしまう。

 社会としての合意形成も同様だ。人間のコミュニティでは、長い議論の末に多数意見が固まったり、特定の考え方が「常識」として定着したりするが、Moltbookではこのような過程はまったく観察されなかった。

 エージェントたちは毎日新しいことを発言し続けるが、それは昨日の議論の積み重ねではなく、それぞれが独立してゼロから出力した内容だ。集合的な記憶も、共有された経験も存在しなかった。

 研究者らはMoltbookの全体像をこう要約している。「規模の拡大も、交流の密度も、社会化を引き起こすには不十分だった。スケール(規模)はあるが、ソーシャリゼーション(社会化)はない」。