実際、協会は「日本選手権で勝ったチーム=世界で戦えるチーム」とは限らないという問題意識を前提に、次回へ向けた代表選考の軸足を動かし始めている。選考対象は直近2季から4季へ拡張し、国内一発勝負よりも国際大会で積み上げた実績(ランキングを左右するポイント)を重く見る設計に寄せる方針だ。

 すでに3月の世界選手権代表に決まっているロコ・ソラーレが、その新基準の「候補」に乗る見通しだという。2シーズンの出来で五輪行きが決まるような一発勝負性を薄め、26~29年の複数年成績を基に候補を絞り込み、最終的に代表候補決定戦で決める――。言い換えれば「たまたま強い」ではなく、「強さを継続できる」チームに寄せようとしている。

 では、ここから先に必要なのは何か。答えは一つではない。

慰めは必要、だが検証から逃げてはいけない

 だが少なくとも、議論の順番は逆にしてはならない。誰を外すか、誰を入れるかの前に勝つ確率を最大化する環境――。国際転戦を継続できる体制、科学的サポート、データと映像の共有、メンタル面の伴走、そして“負け方の設計”に陥らない言語の整備――。こうした数々の項目を積み上げることだ。フォルティウスの敗退は、その欠落を「屈辱」という痛みで可視化した。

 だからこそ、今大会は美談で終わらせてはいけない。慰めの言葉は必要だが、検証から逃げる免罪符にはならない。次の4年を本当に強くするために、日本のカーリング界が何を直し、何を守るのか。閉会式の拍手が消えた後に残るのは、その宿題だけである。

 敗退の後に残ったものは、順位表の数字だけではない。相も変わらず醜い形で噴出してしまった「言葉の荒れ方」は皮肉な表現ながらも、ある意味で日本のカーリングが人気競技になったことの裏返しだ。

 注目が集まれば、期待は膨らみ、失望もまた膨らむ。そこに匿名性が乗ると、批判は容易に人格攻撃へ滑り落ちる。

 もちろん言語道断だが、ここでとにかく必要なのは“叱る”でも“かばう”でもなく議論の作法を整えることだ。勝敗を語るなら何を材料にし、何を禁じるのか。線引きを社会として共有できない競技は、いずれ静かに人が離れていく。