検証には時間がかかる

 同時に、競技側も「敗因を急いで一文に畳まない」胆力が要る。経験不足、選考ミス、メンタルの弱さ――。どれも分かりやすい敗因だ。

 しかしながら、こういう安直な敗因分析は往々にして真実を削る。カーリングは4人の呼吸と判断が積み重なる繊細な競技であり、崩れる時は派手な一撃ではなく、微差の連鎖で崩れる。

 だから検証とは誰かを断罪する作業ではなく、微差を分解し、再現性として積み直す「難行」である。そこに時間がかかるのは、むしろ健全だ。

「混成で最強を作れ」という声が出るのも、勝ちを急ぐ心理の発露だろう。だが阿吽の呼吸を一夜で発明できないからこそ、チーム競技には積み上げがある。

 必要なのは寄せ集めの即効薬ではなく、勝つための集団が常に「勝者の言葉」を持ち続ける環境だ。日本カーリング協会の制度改定の議論も、その環境整備の一部として位置づけるべきで、断じて犯人探しの道具にしてはならない。ロコ・ソラーレを引き合いに出すならなおさらだ。比較は刺激になるが、それだけに終わってしまえば強化の設計図にならない。

 五輪は必ず4年に一度来る――。それは希望であると同時に、猶予でもない。ミラノ・コルティナ冬季オリンピックで突きつけられた課題を回収できるかどうかで、次の4年後の景色が決まる。

 フォルティウスの屈辱を「終わった話」にしてしまえば、熱狂は冷え、競技はまた冬に戻る。屈辱を「成長の糧」に変えられた時こそ、この敗退は日本カーリングをもう一段上へ押し上げる起点になる。