すでに動き始めた日本カーリング協会
五輪は、実力の総量だけで決まらない。むしろ「勝つための手順」を、どれだけ平常時から「当たり前」として身体に染み込ませているかが問われる。ショットの精度や読みのズレといった技術論は、後からいくらでも語れる。
しかし最もつかみにくいのは、負けが続いた時にチームの会話がどう痩せ、判断がどう守りに寄るか。そして“1点を取りにいく”はずの終盤が、いつの間にか“1点を失わない”設計にすり替わる瞬間だ。
フォルティウスの1次リーグ敗退は、カーリングが人気競技として伸び続けるために、そして日本がもう一段階上へ行くために何が欠けていたのかを突きつけた。
議論が「選手の出来」に集約されていくのは、確かに手っ取り早いかもしれない。だがメダルが期待されていた今大会で予想を大きく裏切る8位敗退という現実が突きつけたのは、個人の調子や1、2本のショット以前の問題である。日本カーリング界の“代表強化設計プランの在り方”そのものだった。
敗退直後から、SNSでは「ロコ・ソラーレの方が五輪向きだった」「代表選考はチーム制ではなく、野球やサッカーのように個人を集めて“ベストメンバー”を組むべきだ」といった声が噴き上がった。
2025年9月13日、ミラノ・コルティナ冬季五輪最終予選代表決定戦のプレーオフでフォルティウスに敗れた後、観客に手を振るロコ・ソラーレの選手たち(写真:共同通信社)
だが、その多くは結果が出た後にだけ成立する短絡でもある。カーリングは役割が分業されているようでいて、最後は4人の呼吸が1つの意思決定に収束しなければ勝てない競技だ。寄せ集めの“混成”が万能薬になるほど、現場は単純ではない。
その意味で興味深いのは、日本カーリング協会がすでに次回30年大会へ向け、代表候補の選考を「より長いスパンの成績」で評価する枠組みへ動かしている点である。