五輪という最高峰の舞台で、金メダルを公言して臨みながら8位に沈んだ。その屈辱を、ただ慰撫の言葉で包んでしまえば、敗退は“事件”ではなく単なる“出来事”に薄まり、4年後の30年フレンチ・アルプス冬季五輪につながる検証の糸が切れる。

 ロコ・ソラーレの吉田知那美が解説席から寄り添うように「私たちはフォルティウスの味方です」と繰り返したのは、選手を守るための言葉であると同時に、競技の火を絶やさないための言葉でもあったはずだ。

メダル獲得の実力は十分あったが、勝利を積み重ねられなかったのはなぜか

「勝てなくても頑張ったのだからいい」と美談で終わらせてしまえば、フォルティウスの敗戦と屈辱は意味を失う。むしろ必要なのは、負けを“経験”で終わらせず“材料”に変えることだ。答えはすぐには出ないだろう。もし即答できるほど簡単なら、この五輪で「大誤算」は起きていない。

 しかし、だからこそ今大会の8位は日本カーリング界が、もうワンステージ上がるために欠けていた何かを涙と屈辱で示したのかもしれない――。検証すべきなのは、その「何か」である。

日本―イタリア戦の第4エンド、ショットの行方を見る小野寺佳歩と(手前左から)スイープする近江谷杏菜と小林未奈=コルティナダンペッツォ(写真:共同通信社)

 では、何が足りなかったのか。巷で語られがちな「国際経験不足」という単純化は、むしろ危うい。

 フォルティウスは五輪前から国際大会で上位に食い込み、最高峰ツアーでも強豪相手に1点差勝負を演じている。世界ランキングでも上位圏に位置し、メダル候補と見なされて不思議ではなかった。

 それでも、五輪では勝ちが積み上がらなかった――。ここにこそ、この敗戦を「宿題」として扱う理由がある。