翌年の7月には参議院選挙が予定されていた。そこに出てみてはどうか、という声もあった。

 それをもう一度、選挙区で戦ってみてはどうかと助言したのは、岡田克也だった。

 選挙から1カ月が過ぎて、挨拶にいった。選挙前から岡田が選挙区に入って、いっしょに講演会を開いていた。といっても、岡田の地元秘書から、この日に第4区に岡田が入るから講演会を開くように、との連絡が入って、地元が慌てて準備するものだったが、それでも目をかけてくれていたことがありがたかった。その謝辞を伝えたかった。

「次の公認内定をもらい選挙区で活動したほうがいい」

 東京の議員会館だった。そこで岡田が言った。

「参議院選挙は青沼さんではまとまらないと思う。それよりは、早く次の公認内定をもらって選挙区で活動したほうがいい」

 2024年10月に石破政権下で行われた総選挙は、自民党が過半数割れの結果となった。勢いにのる野党第一党の立憲民主党は、翌年の参議院選挙との同日選挙も睨んで、選挙から1カ月で早くも次回総選挙の公認内定を出していた。

「青沼さんは次点だから、申請すればすぐに通るはず。私も決める側の人間だから」

 そう言われた。

 それから1週間ほどが経って、三重県連の幹事長から連絡が入った。次の選挙に向けて早く態度を決めてほしい、というものだった。次点ということもあり、党も結論を急いでいるという。

 迷った。もう一度、同じことをやるだけの体力はあるのか。いつ次の選挙があるかもわからない時間の流れのなかで、気力は続くのか。解散がなければ任期満了の4年先まで、その活動は続く。そこで選挙となっても、当選できるかどうか、わからない。

 とは言え、悔しさもあった。もう一歩のところで当選を逃した。自分が想像していた以上に、手の届くところに未来はある。

 区切られた時間の中で、もう一度チャレンジしたいと県連幹事長に伝えたのは、12月の中旬だった。幹事長は、早速党本部に伝える、と言った。