党本部に異論はなかったらしい。ただ、段取りとしては、選挙区支部から県連を通じて公認申請を出されたあとに承認するということだった。
「まずは、前捌きをさせてください」
幹事長はそう言った。まずは選挙区内の、いわば選対メンバーを集めて前回選挙の総括をする。その上で、次回選挙に再び私を擁立することで調整する手はずだった。それには多少の時間がかかる。
年を越したところで、立憲民主党の野田佳彦代表が伊勢神宮に参拝にやってきた。代表が訪れるのは毎年1月4日と決まっていて、三重県の党所属の国会議員や公認内定の総支部長が代表と並んで垣内参拝をする。1区から3区までは当選していたから国会議員として代表と並んでいた。私は宙ぶらりんな立場だったが、それでも国会議員といっしょに垣内参拝の列に並ぶことになった。次点ということもあって、気を配っていてくれていた(そう思っていた)。
それからしばらく経っても、一向に“前捌き”の総括は行われなかった。
ようやく総括会議が開かれたのは、2月の中旬のことだった。これで前捌きもうまくいって、党本部への申請が進むと期待していた。
「あなたでは選挙にならない」
ところが、その翌日の夜になって幹事長が電話で伝えてきたことは、意外なものだった。
「もう、あれでは到底選挙にならない」
言っている意味がわからなかった。
よくよく聞くと、選挙の総括どころか、私への批判が集中して、次の選挙どころの話ではなかったようだった。幹事長も予想外の展開に、ため息が混じる。
「もう、とてもじゃないが、あなたでは選挙にならない」
つまり、公認は無理だ、と言っている。
いったい、どんな話し合いでそのようなことになったのか、幹事長は詳細を語ろうとしなかったが、「あれだけ言われたのではダメだ」「わかってくれ」とだけ言った。それでだいたい察しはついた。
私は先の選挙であったことを説明した。「選挙をやりたければ、カネをもってこい!」と言われたことから、暴言、ハラスメントにあたる数々を話そうとした。いや、正確には、話すのはこれが2度目だった。
選挙が終わってしばらく経った頃、別件で幹事長に電話をかけた折に、内情を説明したはずだった。ただ、その時の幹事長は自動車を運転中だったようで、あまり深刻には受け止めていない様子だった。
ここであらためて記憶を喚起しようとしたが、話にもならなかった。
「そうであるとしても、選挙は一人ではできませんから」