その後、河北省、福建省、浙江省、上海市、北京の党中央とキャリアをアップさせていったが、ほぼ常に軍歴も兼務した。例えば、1990年から1993年までは、福建省福州市党委書記を務めながら、福州軍分区党委第一書記を兼務するといった感じだ。そのように「軍職の兼務」にこだわってきた現職の政治家は、習近平氏ただ1人だ。
そのため習近平中央軍事委員会主席は、2012年以降、自分が直接、人民解放軍を掌握しようとした。その際に頼ったのは、主に3人の旧知の軍幹部だった。
習主席が中央軍事委員会に敷いた「2頭馬車体制」
1人目は、福建省時代からの「軍事の師匠」とも言える呉勝利(ご・しょうり)海軍司令員だ。父親の呉憲(ご・けん)元杭州市長はゴリゴリの反日闘士で、日本が降伏した1945年に生まれた息子に「勝利」と名づけた。
呉勝利氏は海軍の軍人となり、福建省時代の1996年に台湾海峡危機が勃発。習近平氏とともに、アメリカ第7艦隊に蹴散らされた。
この時の屈辱が、2人の「外交の原点」だ。呉氏は海軍司令員(海軍トップ)時代の2007年、北京を訪れたアメリカ太平洋軍のティモシー・キーティング司令官に「太平洋を米中で二分割しよう」と持ちかけ、驚愕させている。
同年に中央軍事委員となり、習近平総書記時代1期目(2012年~2017年)を支えた。習主席が2015年~2016年に断行した大規模な軍の組織改編は、呉委員のサポートの下で行われた。
呉委員は、2017年に72歳で引退。その「利権」を引き継いだのが、同じ福建省の第31集団軍出身の苗華(びょう・か)氏だった。この苗華氏が、習主席が頼った2人目の軍幹部である。岳父は葉漢林(よう・かんりん)福州軍区政治部副主任で、習主席も慕った軍幹部だ。
中国中央軍事委員会委員だった苗華氏(写真:AP/アフロ)
苗華氏は、2017年に中央軍事委員会入りした。2022年には、同じく第31集団軍で直属の部下だった何衛東(か・えいとう)東部戦区司令員も、中央軍事委員会に入れた。
習近平主席が頼った3人目のキーパーソンが、今回失脚した張又侠副主席である。父・張宗遜(ちょう・そうそん)元総後勤部長は、習氏の父・習仲勲氏の「戦友」で、息子同士も幼なじみだ。
習主席は2012年に中央軍事委員会主席に就くと、張又侠瀋陽軍区司令員を中央軍事委員会に入れた。2017年には同副主席に昇進させた。
2022年の第20回共産党大会で、本来なら2期10年を務めた習総書記は引退だった。ところが「永久政権」を狙う習総書記は、強引に続投。その際、定員7名の中央軍事委員会を、「2頭馬車体制」にした。
一つは、苗華・何衛東ラインである。2022年に習主席は、何衛東東部戦区司令員を定員2名の中央軍事委員会副主席の1人に据えた。
もう一つは、張又侠副主席のラインである。張副主席の手下である李尚福(り・しょうふく)総部発展部長と劉振立陸軍司令員も、中央軍事委員会に押し込んだ。
残り1枠は、習主席がお気に入りの政治将校(習近平強軍思想の啓蒙役)で、2017年に中央軍事委員会に入れた張昇民委員を留任させた。
習主席としては、10年かけてようやく中央軍事委員会を、「自分の色に染めた」気分だったろう。ところがここから、「習近平派」同士の激しい権力闘争に発展していったのだ。端的に言えば、「張又侠グループ」vs「苗華グループ」の仁義なき闘いである。