さらに、ファンに対しては5つの「観戦の心得」を説いている。

①自主性を持つこと
②自分でスターを育てること
③勝利至上主義を捨てること
④真の高度なプレーを理解すること
⑤監督の監督、つまり総監督の気分に浸ること

 野球の神髄を知る鶴岡一人ならではと言えよう。

ボーイズリーグを立ち上げ球界のすそ野を広げる

 引退後は、少年野球の「リトルリーグ」のチームを指導するが、日本流の少年野球を作るべく「ボーイズリーグ」を立ち上げる。桑田真澄、清原和博を始め、現在のダルビッシュ有、吉田正尚、山本由伸まで多くの選手を輩出。ボーイズリーグの本部は、今も南海系列のビルの中にある。

 鶴岡は「球界のドン」「鶴岡親分」と慕われた。それは選手の面倒見が良かったからでもある。引退する選手の身の振り方を考えてやったり、出番がない選手をトレードに出したりした。

 黒田一博は八幡製鉄から南海に入り、レギュラー外野手として活躍したが、1954年パ・リーグに高橋ユニオンズができると鶴岡に「選手が足らんから行ってやってくれ」と言われ移籍。引退後は、大阪市住之江区に運動用具店を開くが、鶴岡がボーイズリーグを始めると、黒田も「オール住之江」を結成して参加した。

 この黒田一博の次男が、広島やドジャース、ヤンキースなどで活躍した黒田博樹。黒田は幼いころ鶴岡が父の一博をゴルフに誘いに来たことを覚えている。

1996年12月、広島の新人選手入団発表会見で顔を揃えた黒田博樹と父・一博さん(写真:産経新聞社)

 鶴岡は、2000年に亡くなったが、鶴岡の墓の隣には、南海初の日本一に貢献した杉浦忠(2001年没)と、黒田一博(2007年没)の墓が並んでいる。