実はビザなしでのアラスカ訪問が可能なチュクチ人
1648年、ロシアの遠征隊はベーリング海峡に到達した。1652年にチュクチにアナディリ要塞を建設し、原住民の征服に乗り出した。ところが、チュクチ人はロシアに徹底抗戦し、納税を拒んだ。チュクチ人による襲撃を抑え込むことができず、ついにロシアは1763年に入植地を放棄せざるを得なかった。
ベーリング海峡西岸に空白地ができたことを知ったイギリスとフランスが、チュクチに関心を示し始めた。女帝エカチェリーナ2世は事態を重く見、ふたたびチュクチへの移住を命じた。
とはいえ、チュクチ人とは交易するだけで、税は取れなかった。ロシア帝国はチュクチを支配することができず、1930年代、つまりソ連時代になってようやく併合されたのだった。
1948年までチュクチに住む先住民はロシア以上に、対岸のアラスカの人々とさかんに交流しており、米国に親類縁者がいる者も多い。特に2015年以降、チュクチの先住民はアラスカの親類を訪れるためであれば、米国のビザを必要としない状態となった。チュクチの人々は米国との関係が深い。
1991年にソ連が解体されると、チュクチ自治管区の人口は急減した。1989年の国勢調査では16万人を超えていたが、現在は4万人強と、4分の1になってしまった。なお、チュクチ人は1.6万人しかいない。
米国との国境地帯となるチュクチには、原子力潜水艦の基地をはじめ軍事施設があり、軍関係者が多かったが、ソ連崩壊で維持できなくなり、人々が離れていったのだ。
チュクチに予算を出せないロシア連邦政府は、2000年、大富豪で政商(オリガルヒ)のロマン・アブラモヴィッチ氏をチュクチ自治管区の知事にした。アブラモヴィッチ氏は2003年にイングランド・プレミアリーグのサッカークラブであるチェルシーを買収したことで有名だ。
彼は自身のポケットマネーから住民の旅行費用を出すなど、お金をばらまいていたが、2008年に辞職した。足掛け9年の知事在任期間中にチュクチの産業基盤が強化されることもなかったし、人口急減も変わりなかった。
ロシア人の流出は止まらず、一方で米国と常に交流しているチュクチ人やエスキモーといった先住民は若干増えている。人口減は軍事基地の維持に支障をきたすし、先住民の割合の増加はロシアからの離反を誘発するだろう。