楢重、念願のヨーロッパへ渡る

「小出楢重 新しき油絵」展示風景。《ラッパを持てる少年》1923年 東京国立近代美術館

 洋画家として確かな地位を手に入れた楢重だが、油彩画の本場であるヨーロッパの美術に触れたいと強く願う。楢重は実家を売却して渡欧資金をつくり、1921年にパリへ渡った。

 小出楢重はこんな言葉を残している。「もし時代の如何なる影響があるにかかわらず、油絵というものに一生をゆだねる覚悟をもつ以上は、先ず画家として勉強の最も初めにおいて西洋の伝統と古格とその起る処の生活に触れなければいけないと思う。そして絵画の組織を極め基礎を固めなければならぬ」。

 楢重は欧州滞在で油彩画が西欧の歴史、伝統、生活慣習と不可分であることを痛感し、帰国後は生活スタイルを洋式に改めた。窮屈な洋服を着用し、メレンゲとコーヒーを嗜み、ドライブを楽しんだ。そうした暮らしの変化は作品にも反映されている。《ラッパを持てる少年》(1923年)は楢重の息子を描いた肖像画で、息子は楢重がフランス土産として購入してきたラッパを抱えている。《帽子をかぶった自画像》(1924年)には楢重自身の姿がとらえられているが、白の上下のスーツに黒の革靴という出で立ち。首にはネクタイを締め、頭には西洋風のハットを載せている。

「小出楢重 新しき油絵」展示風景。《帽子をかぶった自画像》1924年 石橋財団アーティゾン美術館

 画風にも大きな変化が見られる。厚塗りを基本とした重厚感ある作風から、絵具を薄く溶いて重ねていく描き方に変わり、色遣いも明るくなった。渡欧後の作品は渡欧前に比べて、はるかに洗練された印象を受ける。

 だが、楢重は日本を否定したわけではない。というよりも、常に日本を念頭に置いて制作に励んだ。西洋由来の油絵を日本人としていかに描くか——。1930年に刊行された著書『油絵新技法』のなかで楢重は「新しき日本へ新しき花を発祥させるには根のない木を植えてはいけない」と述べている。その実現のために、楢重は西洋由来の油絵の基礎を身につけたうえで、西洋の模倣ではない、日本に根差した油絵を探求し続けたのだ。