80年間の日韓関係を立体的に提示
出品作は日韓両国から集められた、50組以上の作家による約160作品。起点は日本が敗戦した1945年。ここから現在までの80年間の美術の動向を包括的にひも解いていく。
「これまで韓日両国の現代美術に光をあてる展覧会は、特定の時代やテーマに集中する傾向がありました。しかしこの展覧会では、1945年から現代に至るまでの大きな時代を扱い、両国を代表する作家と作品をあわせて紹介します。これにより、韓国と日本の美術の流れがどのように交差し、相互に影響を与え合ってきたのかを、立体的に示そうとするものです」(国立現代美術館 キム・ソンヒ館長)
在日コリアンのアートが見せるもの
1945年から1965年の国交正常化までの20年間は、いわば“はざま”といえる期間。日本の敗戦により朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されるが、ほぼ同時に半島の北側をソ連軍が、南側をアメリカ軍が統治。1950年に起きた朝鮮戦争を経て、朝鮮半島は大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分断された。
これにより日本と朝鮮半島の正式な国交が結ばれていない時期が続くが、交流や関わりまでもが消えてしまったわけではない。日本で暮らす在日コリアンたちの中には日本の美術界で活動するアーティストも多く、たとえばチョ・ヤンギュ(曺良奎)は日雇い労働者として働きながら、在日コリアンの生活の実態を描き上げた。日本国内の美術館が所蔵する《密閉せる倉庫》(1957年)、《マンホールB》(1958年)に加え、韓国の国立現代美術館からは初期のドローイング作品が出品されている。
曺良奎《マンホールB》 1958年 油彩、カンヴァス 宮城県美術館蔵
1950年には若き日のナムジュン・パイク(白南準)が来日。東京大学美学美術史学科に学び、日本のアーティストやクリエーターたちと親交を深め、世界的に評価されるビデオ・アーティストになった。会場ではナムジュン・パイクが1986年に発表したビデオアート作品《バイ・バイ・キップリング》が上映されている。ニューヨーク~東京~ソウルを衛星放送を使ってリアルタイムで結んだ通信プロジェクト作品で、日本からは磯崎新、坂本龍一、三宅一生らが出演している。
安齊重男《1970年代美術記録写真集 「ナムジュン・パイク 1978年5月 草月会館」》 1978年 写真 東京都現代美術館蔵 ©Estate of Shigeo Anzaï, Courtesy of Zeit-Foto
1965年に大韓民国とのみ、国交が正常化すると、日本では同時代の韓国アートを、韓国では日本のアートを紹介する展覧会が開催されるようになる。その皮切りとなった「韓国現代絵画展」(1968年、東京国立近代美術館)、銀座の東京画廊と韓国の明東画廊が主導した「韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉」展(1975年)、日韓の作家が初めて大規模な共同制作・共同発表を試みた「第5回大邱現代美術祭」(1979年)。
1981年にソウルの韓国文化芸術振興院美術館で開催された「日本現代美術展─70年代日本美術の動向」は、日韓両国の公的機関がタッグを組んで実施された展覧会。斎藤義重、山口長男、高松次郎、辰野登恵子ら、日本を代表する現代美術家46名の作品が大々的に紹介された。
山口長男《軌》 1968年 油彩、板 横浜美術館蔵