数々の名レースの歴史

1990年12月23日、引退レースの有馬記念で有終の美を飾ったオグリキャップ 写真/共同通信社

 私と有馬記念との付き合いは半世紀以上に及びますが、リアルタイムで見ていた数々の名勝負は今でも胸を熱くさせてくれます。

『ライバル対決』が話題となった「ハイセイコー対タケホープ(1974)」「オグリキャップ対タマモクロス(1988)」「グラスワンダー対スペシャルウイーク(1999)」「テイエムオペラ―対メイショウドトウ(2000)」「サトノダイアモンド対キタサンブラック(2016)」「エフフォーリア対クロノジェネシス(2021)」等々。

『3強激突』が注目された「テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス(1977)」「シンボリルドルフ、ミスターシービー、カツラギエース(1984)」も忘れられませんが、2019年、単勝1.5倍という断然1番人気だったアーモンドアイがなんと9着、このレースまで10戦8勝、2着1回、3着1回という見事な成績を収めていた同馬にとって屈辱となったレースも印象深く、さまざまなドラマが次々と誕生するのがこの有馬記念なのです。

 1990年、オグリキャップが前走のジャパンカップ11着惨敗後の有馬記念で勝利したときには、競馬場に響き渡る「オグリコール」がテレビ画面を通じてお茶の間にも届き、競馬が伝えてくれる感動にあらためて気づかされたものです。テレビの解説席にいた大川慶次郎さんが直線で「ライアン」と2度も叫んで、2着となったメジロライアンを応援していたレースです。

 オグリキャップは現役当時(1987~90)、有馬記念に3度出走し、2度優勝しています。2度目の出走だった1989年の有馬記念では前走のジャパンカップで2着と健闘し、有馬記念当日も単勝1.8倍の1番人気でしたが、残念ながら5着に終わります。それまで27戦(20勝)して4着以下がなかったオグリにとって初めての屈辱でした。

 翌1990年の年末、3度目の有馬記念では引退レースとして臨み、優勝。見事な復活をとげたことで、当日、中山競馬場に訪れた17万7779人のファンたちを感動の渦に巻き込みました。

 このときのファンの歓声と熱狂はテレビ画面を通じて日本中の競馬ファンに伝わり、「有馬記念=名馬引退の花道」という図式が年末の恒例行事のように確立されたように思います。このときの入場者数は、中山競馬場史上最多としていまだに破られていません。

 1993年の有馬記念では、前年の有馬記念で田原成貴騎手を背に1番人気で11着に沈んだトウカイテイオーが1年ぶりのレースで復活、ゴールした瞬間には思わず声を上げてしまったものです。鞍上の田原成貴騎手が涙を流しながらインタビューに応えていたのも忘れられません。