江戸時代の刑罰で一番重かった「生命刑」の執行方法
今回の放送では、蔦重や京伝が厳しく追及され、処罰が下されるプロセスが描写された。蔦重の妻・ていが、鶴屋喜右衛門とこんなやり取りを行っている。
てい「あの、主人の命乞いなどしていただくことは……」
鶴屋「累が及ぶことを考えれば、命乞いはできませんよ。みな、店も家もあります」
てい「愚にもつかぬことを申しました。お許しを」
鶴屋「訴え出られるとすれば、おていさんしかいません」
その後、ていは決死の覚悟で、定信の側近・柴野栗山(しばの りつざん)に命乞いをする。普段はクールな性格だけに、なりふり構わず行動する姿が印象的だったが、江戸時代においては、どんな刑罰があったのだろうか。
一番重いのは「生命刑」、つまり死刑だが、江戸時代にはいくつか死刑の執行方法があった。
死刑のなかでも最も軽いのが、牢の中で首をはねられる「下手人(げしゅにん)」で、身内が遺体を引き取り、埋葬することもできた。次に「死罪」の場合だと、首をはねられるところまでは同じだが、処刑後に死骸は試し斬りに使われることになる。
さらに重いものでは、受刑者を十字架に縛りつけて槍で突き殺して3日間死体をさらす「磔(はりつけ)」や、死後に首を晒しものにする「獄門(ごくもん)」、放火犯に対する「火罪」などがあった。
「生命刑」より軽いものでは、手や額に入れ墨を入れられたり、ムチ打ちにされたりする「身体刑」もあれば、島流しのような「追放刑」もあった。
ドラマでは、蔦重が科せられる可能性のある処分について皆で話し合っているときに、ていが「江戸にいられなくなるのでございますか!?」と驚く場面があった。これは「江戸払(えどばらい)」と呼ばれるもので「追放刑」の一つである。
刑罰の種類が多かっただけに、ドラマのていも気が気でなかったことだろう。実際に蔦重に科せられたのは「身上半減(しんしょうはんげん)」と呼ばれるものだった。刑罰の種類としては財産を奪われる「財産刑」に当たる。
そして、山東京伝は「手鎖50日の刑」を受けることになった。自由を奪う「自由刑」に分類されるもので、ドラマでは手に鎖をつけられながら、自宅で謹慎する悲しげな京伝の様子が描写された。