さまざまな説があった「身上半減」の刑罰

「身上半減」とは、どんな財産刑だったのか。ドラマでは、蔦重が経営する耕書堂が持つ財産がすべて半分にされるシーンがあった。

 だが、実は「身上半減」については、いろいろな説がある。蔦重が「身上半減」に科せられたというのは、曲亭馬琴(きょくてい ばきん)が書いた山東京伝の伝記『伊波伝毛乃記(いわでものき)』で「板元重三郎は身上半減の闕所(けっしょ)」と書いていることが、一つの根拠とされている。

「闕所」というのは、財産を没収されることをいう。「身上半減」を「財産を半分にされた」と解釈すると、闕所とは矛盾する。そこで、あくまでも闕所は比喩表現だとする解釈もあれば、闕所とあることから馬琴は大げさに書きがちで、「身上半減」もそれほど重い罰ではなかったのではないか、とする見方もある。

 一方、作者不明の『山東京伝一代記』では「身上半減」という表現はなく、「身上に応じ重過料」とある。ドラマのように「暖簾まで半分にする」というのは明らかにフィクションだが、財産の半分までいかずとも、それなりに痛い目に遭うことになった、といったところだろうか。

 これからの展開について触れておくと、京伝はもう二度と幕府から目をつけられたくないと、子ども向けの教訓本にシフト。新たな読者層を開拓することになる。そして蔦重はというと、役者絵を売り出す方向へとかじを切ることになる。

 もはや田沼時代とは打って変わった世の中になったと身をもって知りながら、蔦重も京伝も、次のステージにつなげている。たくましい2人の挑戦に注目したい。