脚本家としての反省と新たな作品への決意

 翌日は抽選にハズレ、傍聴することは叶わなかったので、僕の傍聴記はここで終わる。

 最後に僕自身の反省を。

 先述したように『REVOLUTION+1』は当時手に入るだけの資料を読んで、書いたことは書いた。国葬の日に上映するというスピードとカウンターを最重視したため(映画は、音楽や演劇と違って、企画し、脚本を書き、お金を集め、撮影をして、公開する──これがまた映画館がなかなか空いていないのだ──ので、スピード感がない)、どこかで「季節商品」と割り切らざるを得なかったところがある。

 しかし、それでも妹さんの証言を聞きながら、妹さんの台詞を創作したことを僕は恥じた。この映画を観ていなくとも、存在くらいは知っていたはずだ。自分らしき人物も出てくると聞いたかもしれない。その時、どれだけ傷ついたか。本当に申し訳なく思う。それに、この妹さんは足立さんや僕が書いたような台詞は絶対に言わないだろう。

 妹さんだけでなく、お母さんも山上さんにもこの場を借りて、謝罪させてください。申し訳ありませんでした。

 その上で、もう一本、今度こそちゃんと取材した上で作らなければとも思う。それは『REVOLUTION+2』ではない。『REVOLUTION+3』だ。『+2』のお母さん視点から始まり、『+3』で妹さん視点になり、『+1』で山上さん視点に戻る。そんな三部構成の映画だ。そうしない限り、僕は僕の罪を贖えない。

 最後の最後に母親が言って、報道されていない言葉を。事件について問われた母親はこう言った。

「この事件で救われた人(宗教二世という意味にしか取れなかった)もいたと思う」

 報道されていないので確認しようがないが、間違いなく母親はこのようなことを言った。

 願わくは、母親自身も脱会し、救われんことを。それが山上さんが一番望んでいることなのではないか、と書くのはセンチメンタル過ぎるだろうか。それでも、願わずにはいられない。お母さんだけでなく、すべての信者も。