妹は「ふたりで養護施設に行けばよかった」
裁判官からの質問が終わった後、母親がまたしても「徹也に申し訳なくて」と言いかける。「証人は黙ってください。ここは証人が話をする場ではありません」と裁判長が止める。それでも退廷間際、「テッちゃん、ごめんな……許してね……」と母。その声はみなまで届かず、またも裁判官に遮られたが、山上には確実に届いていた。
退廷する母の背中をまたも一瞬だけ山上が見る。一体、何年ぶりに見る母の背中だったろう。それが被告と証人となって、ようやく実現する。何が彼を、彼女をこうさせたのか。
これがこの日のピークだと思っていた。傍聴記はこれで終わった方がいいに決まっている。しかし、この後に出廷した妹がまた凄まじかった。
もちろん衝立で姿は見えない。しかし、その声から凛とした生き方が見える。この家庭環境でどうやって、こう生きられたのか。山上がずっと外していた眼鏡をスッとかけた。
弁護側から今日証言する意味を問われた妹はこう言った。
「私は今まで生い立ちをほとんど話したことはありません。話すと涙が出てきて、口に出すのがつらくて、つらい思いを忘れようと生きてきました。でも、今日はお話しするつもりで来ました」
その声がもう濡れている。あまり泣いたと書くのは恥ずかしいし、最近涙腺が緩いのも事実なので、あまり書きたくはないが、僕も泣いた。いや、母親の言葉から泣いていた。母親も妹も山上さんも悲しすぎる。
と、キレイにまとめられないくらい、そこで語られた妹の言葉は宗教二世の悲惨さに満ちていた。
文鮮明と韓鶴子の写真が飾られた暗い部屋で朝晩に祈りを捧げる母の不気味さ。パフェを食べに行こうと騙されて統一教会の施設に連れて行かれた時の絶望。孫たちには優しかった祖父がついにキレ、母親と一緒に自分まで出ていけと言われ、隣の駐車場で夜まで過ごしたこと。その時に山上さんが帰ってきて、もしかしたら兄なら家に入れてもらえるかと何も言わないでいたら、やはり追い出され、一人夜の闇に消えていったこと。
「あの時、ふたりで養護施設に行けばよかった」
その後悔を事件のあと、何度思い返して、何度自分を責めたことだろう。
見て見ぬフリをした者にも罪はある。例えば、ガザの虐殺の時に、強く思うそのことを今日もまた思った。ましてや、統一教会に加担した者に罪がないワケがない。