人付き合い苦手な青年のままの「山上さん」

 12時25分、奈良地裁に入る。今度は傍聴用のリストバンドを巻かれ(15番だった)、入口で空港並みの入念な荷物検査とボディチェックを受ける。さらに荷物はリストバンドと同じ番号のロッカーに入れなければならない。持ち込んでいいのはノートだけ(ルーズリーフの人は外側を外し、紙だけにしろと言われていた)。

 ペンは裁判所から貸し出されたものしかNG。ポケットに入れていていいのはハンカチのみ。サンマルクのレシートが入っていたら、捨てさせられた。盗聴や盗撮が出来る余地なんて微塵もない。ちなみに、僕は不覚にもノートを持ち込むという発想がなく、以下、記憶のみによる。

山上徹也被告(写真:共同通信社)

 13時05分、山上さん*1がのっそりと入ってくる。猫背。上下黒。事件の時は線の細い感じがしたが、ふっくらしたせいか、落ち着いて見える。昔、鈴木邦男さんが見沢知廉さんのことを「人を殺したことのあるヤツはどっか違うんだよ」と言っていたが、そんなオーラはゼロ。人付き合いが苦手な、青年の雰囲気を残したまま大人になった感じ。喩えて言うなら、アイドルのライブ会場にいるオジサンみたいな。

*1:筆者による呼称。「途中、山上さんの敬称がなくなりますが、シナリオを書くつもりで描写したので、どうしても邪魔に感じてしまいました。他意は全くありません」と説明している。(JBpress編集部)

 着席するなり、裁判資料(だと思う)に目を落とす。老眼が始まっているのか、眼鏡を外す。が、以降は入退廷と、妹証言の時以外は外したまま。ピントの合った世界で、母親の顔を見たくなかったのか。

 その母親が入ってくるが、山上さんは一切顔を上げない。証言台は衝立に囲まれている。入退廷時はドアのところから証言台まで衝立が置かれ、母親の姿は全く見えないが、声から頭の良さが感じられる。大阪市立大学卒。まあ本当にそうなんだろう。ならば、統一教会になんかハマらなきゃいいのにって話なんだけど。

 しかし、夫の自殺、長男の難病。そこへ近づいてくる、統一教会を名乗らない誘いの手。オウム真理教の高学歴の信者のことを想う。自分がハマらないとは言い切れない。

 弁護側から、勧誘から献金、祖父の反対や子供たちの反応などが微に入り細に入り質問される。初公判を傍聴したへずまりゅうが鼾をかいて寝ていたというが、不謹慎ながら僕も眠気に誘われる。

『REVOLUTION+1』を書いているので、当時読めるだけの資料は読んでいるつもりだったが、やはり知らないことばかり。事件の年の正月、山上さんのアパートのドアノブに正月用の食べ物(お餅やお節だろう)を入れたビニール袋をかけ、そのことをメールしたが返事がなかったので(それまでもなかったが)、それ以降連絡するのはやめたとか、そんな話は本人の口からしか絶対に聞けない。寝るな。