「日中友好」という蜃気楼──経済と歴史がねじれた40年
今回の危機を「突然の不幸」と見るのは歴史に対して甘い。むしろ、起きるべきことがついに顕在化したと見るべきだろう。国交正常化以降の「日中友好」は、もともと価値観を共有しない二つの大国が、経済的利害の一致という細い糸でつながっていた、蜃気楼のような関係だったからだ。
1980年代、日本経済はバブルに向かって膨張し、中国経済は改革・開放初期の脆弱な段階にあった。中国政府は戦争賠償を放棄する一方、日本のODAや民間投資に大きな期待を寄せ、日本側も鉄鋼・家電などの製造業を中心に「戦争への贖罪意識」を背景とする対中協力を積極的に進めた。両国の利害が一致していた時期には、政治的摩擦も相対的に抑え込まれていた。
しかし1990年代末、日本がバブル崩壊と金融システム危機に苦しむ一方で、中国はWTO加盟(2001年)を契機に「世界の工場」として急成長を遂げた。
2010年には名目GDPで中国が日本を抜き、世界第2位の経済大国となる。この時期から、中国社会における日本への視線は「学ぶべき先」から「追い越した相手」へと変わり、日本側の劣等感と中国側の優越感が交錯し始めた。
こうした力関係の変化の中で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝や、民主党政権下での尖閣諸島国有化などが火種となり、大規模な反日デモが中国各地で発生した。日本企業の店舗が襲撃され、日本車が焼き討ちに遭う映像は、日本人の対中感情を決定的に冷やすきっかけとなった。
2005年5月、小泉首相(当時)の靖国神社参拝に抗議する香港のデモ(写真:AP/アフロ)
一方、中国側にとって決定的な転機となったのは、2020~2022年にかけてのゼロコロナ政策と不動産バブルの崩壊である。コロナ禍前までの「永遠に続くかに見えた成長」は幻であったことが露呈し、若者の高失業率や地方財政の悪化など、社会不安の火種が積み上がっている。
こうした中で、反日デモはもはや政権にとっても「扱いにくいカード」となった。反日感情をあおっても簡単に反政府運動へと転化しかねないからである。今回、中国政府が大規模な街頭デモを黙認するのではなく、もっぱら外交・経済措置に圧力の矛先を向けているのは、その表れと言えよう。
「日中友好」の黄金時代とされた1980年代は、日中の国力が大きく乖離し、日本が圧倒的な経済力と技術力を誇る一方、中国は学ぶ立場に徹していた。だが中国が日本を追い抜いた瞬間、その前提は失われた。対等なパートナーとして価値観を共有し合う関係に発展することなく、歴史問題と安全保障をめぐる構造的対立だけが積み上がり、今回、高市政権の誕生とともに一気に噴き出したのである。