「港区には、母の人生を返してほしい」

 それにしても、である。なぜ、港区はここまでして母娘を引き裂こうとしたのか。裕子さんの支援を続けてきた「後見の杜」の宮内康二代表は言う。

「港区がお母さんの退院を認めなかったのは、不当なやり方で親子を分離させ、強引に後見人をつけた事実を隠したかったからでしょう。事実、お母さんが一連の経緯を知るために港区に個人情報の開示請求をすると、『後見人が付いている人からの請求は受理できない』という理由で、港区は開示を拒否しました」

 個人情報保護法では、行政機関が保有する個人情報については「何人も開示を請求することができる」と定められている。そのため、宮内代表は「港区の対応は適法とは言えない」と指摘する。

 この事件について、港区の清家愛区長は今年1月の記者会見で、「適切に法律に基づいて行っている」と説明していた。しかし、現場の職員は、長期間の面会制限については法律上の権限に基づかない「港区からのお願い」にすぎなかったことをすでに認めている。

清家愛・港区長=2025年1月31日記者会見

 清家区長はなぜ、記者会見の場で虚偽の説明をしたのか。フロントラインプレスはその後、一連の経緯も含めて清家区長に改めて見解を求めたが、「個人情報に関係するため、お答えができません。区は、引き続き、関係法令等に基づき、適切に対応してまいります」との回答しかなかった。

 しかし、裕子さんにとって、本当につらい日々は、再び母娘が一緒に暮らすようになってからだったかもしれない。自宅に戻った1週間後、病院に行くと、母の肺がんはステージ3と診断されたのである。余命は半年か、長くて1年と宣告された。その時を振り返って、裕子さんは言う。

「母と会えなかった2年8カ月は、あまりにも長すぎました。47キロあった体重は、35キロまで落ちていました。人生の晩年を過ごす80代の2年8カ月は、とても貴重なものです。港区には、母の人生を返してほしい」

 そして母はことし8月末、生涯を終えた。裕子さんは泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いた。

◎「高齢者の連れ去り事件」の連載は、調査報道グループ「フロントラインプレス」がスローニュース上で発表した記事を再構成し、その後の情報を付け加えるなどしてまとめたものです。事案の詳細はスローニュースで読むことができます。
https://slownews.com/menu/291166