担当医師は「いつ退院しても大丈夫」

  2024年5月12日の日曜日。裕子さんは支援者らと一緒に東京都青梅市の精神科病院に向かった。母の収容先が判明した後、病院と直接交渉し、リアルでの面談許可を得ていた。現地に着くと、母は車いすに乗って面会室にやって来た。

 連れ去りから2年余り。久しぶりの対面に裕子さんは涙を止められない。その場では母は「ケンカはしたけど、私は裕子の母親よ。虐待なんかされてないよ」と断言。虐待の事実を完全に否定した。

 そのうえで「裕子が来てくれてうれしい。私の残りの人生は、裕子のために生きるよ」「家に帰りたい」と続ける。見守っていた医師が「今日にでも退院できますよ」と告げると、裕子さんは「家に連れて帰ります」と即答した。

 母は、精神保健福祉法に基づく「医療保護入院」だったという。この制度では患者本人の同意がなくても、医師が入院の必要性を認め、家族らが同意するなどの条件を満たせば、患者を入院させることができる。

 ところが、医師の「退院できます」という診断を受け、裕子さんが母を連れ帰ろうとすると、港区の職員らが現れた。「お母さんを連れ帰ると困ります」と立ちふさがる。病院からの情報で母娘の対面を知り、遠く離れた港区から青梅市へ来たらしい。

 母の退院を妨害する法的根拠を求めると、何も答えない。やがて、港区職員の通報によって警察官も現れた。裕子さんが、原則3カ月しか認められない医療保護入院が家族の許可もなく長期間続いていることを説明すると、警察官は「医療保護入院で2年8カ月ですか……」と驚いた。

 そのうち、母の成年後見人である弁護士も駆けつけてきた。「家に帰りたい」という母を説得し、帰宅を諦めてもらうつもりだと裕子さんらは感じたという。しかし母の意思は変わらず、その日、裕子さんらは“母の奪還”に成功した。

  病院を離れると、母は「久しぶりにコーヒーがほしい」と言ったので、みんなで缶コーヒーを一緒に飲んだ。港区に戻るまでの車中では、残された人生をどうやって過ごしたいかを語り合った。「まずは温泉にでも行きたいね」と母。無事に家に帰り着いた時には、午後6時を過ぎていた。

 “奪還”の一部始終を見届けた筆者も、心地良い疲労に包まれた。