次の政局は意外に早いかもしれない
話を政治の現場に戻せば、高市政権の政権基盤は、トランプ米大統領の来日といった外交イベントを中心に、当面の「成果」をあげる以外に安定化の道筋は見出しにくい。
米海軍の原子力空母「ジョージ・ワシントン」で演説するトランプ米大統領(右)と高市早苗首相=2025年10月28日、神奈川県横須賀市(写真:共同通信社)
内政に目を転じれば、与野党でほぼ合意ができているガソリン税の暫定税率廃止といった一部の法案を除くと、重要法案の成立見通しは決して明るくない。
特に、閣外協力を続ける維新が最重要視する政策の一つである衆議院の議員定数削減については、自民党内ですら抵抗も根強く、協議は難航が予想される。日本維新の会からは、遠藤敬国会対策委員長が総理補佐官に就任し、政府・与党とのパイプ役を担っているが、これはあくまでも総理を補佐する職位であり内閣を構成する閣僚ではない。
維新自身もあくまで閣外協力の立場を維持しており、個別の法案ごとに是々非々で対応するという基本姿勢を崩していない。
ということは、高市政権の任期中、次の政局がいつ起きてもおかしくないということだ。野党の側も、この好機を逃すまいと、内閣不信任案の提出のタイミングを探り、政権を追い込む道を模索し続けるだろう。
立憲民主党や国民民主党、そして野党になった公明党などは、少数与党という政権の弱みを最大限に突き、来年の通常国会で審議される予算案や重要法案に対して、厳しい修正要求を突きつけていくはずだ。
政権側からすれば、来年の通常国会後半で野党の攻勢によって追い込まれ、不利な状況で解散総選挙に打って出るよりは、内閣支持率が比較的高いうちに、先手を打って国民に信を問いたいという動機付けが、与党内で強く働くはずである。
そのような、いつ解散総選挙があってもおかしくないという緊張した政治局面において、「信頼されるメディア、報道」の存在は、決して画餅であってはならないはずだ。 だが深刻なのは、前述したように、マスメディア自体が社会の分断を緩和するどころか、むしろその一因となっている可能性があることだ。
新聞やテレビ局ごとに「保守系」「リベラル系」といった政治的レッテルが固定化し、読者や視聴者もまた、自らの信念や信条に合致するメディアの情報しか見聞きせず、それ以外のメディアを信用しない、という傾向が強まっている。
このような状況下で、果たして現在の報道の延長線上に、社会全体から「信頼できるメディア」「信頼できる報道」として認識される存在が機能するのだろうか。
本欄でも幾度となく警鐘を鳴らしてきたが、日本のメディアと報道は、今まさに歴史的な転換点に立たされている。インターネットとスマートフォンの普及によるデジタル化への対応、若年層へのアプローチ、広告収入に代わる新たな収益モデルの再構築、そして何よりも、失墜した「信頼の回復」という、複数の課題に同時に取り組まなければならない。
しかしながら、各社が声高に改革を宣言してからしばらく経つが、どうにもその改革の手応えが感じられないのが実情だというのが筆者の認識である。メディアは、外部からの圧力ではなく、自らの手で自己改革を成し遂げ、市民からの信頼を再び勝ち取ることができるのか。それとも、このまま構造的な衰退の一途をたどり、権力監視の番犬(ウォッチドッグ)としての重要な役割を事実上放棄してしまうことになるのだろうか。
本来、メディアの再生という課題は、単に業界の浮沈という問題ではない。この国の健全な民主主義社会を維持できるかどうかに関わる、広く国民一人ひとりの問題なのである。そのことを今一度、想起する必要があるのではないか。
