なぜこんな嘘だらけの記事が出るのか。私の評判を下げることで、私が目指している社内体制一新を阻止したい人たちの意思が何らかの形で作用しているのでしょう。今でも内部通報・内部告発をした当事者がネットで誹謗中傷を浴びたり、デマをながされたりしています。私もこの時、その経験をして、デマを流される人の気持ちが少しだけ分かったような気がします。
そして安堵半分、懸念半分の結末に
さて、社内の部署長らによる要望書の提出という事態に至り、社内の「内紛」の実態はマスコミ関係者の間では公然の事実となりました。私はそれを奇貨として、勝負に出ることにしました。社外に向けた「内部告発」です。
記者会見ではありませんが、新聞社の取材を受けることにしたのです。5月26日、朝日新聞の記者の取材を受けました。私から見た松井体制の問題点、彼が抱えている個人的問題など、会社の恥部をあえて晒しました。社内をじわじわ侵食する病巣を、マスコミにスキャンダルという形で報道されたり、株主から代表訴訟という形で追及されたりすれば、社は甚大なダメージを受けます。それよりも、社内からの自浄作用で生まれ変わる姿を世間に示したい。そんな思いでインタビューを受けました。
翌27日、私のインタビューを含む記事が紙面に載りました。大きな記事ではありませんでしたが、松井に与えたショックは小さくなかったようです。
5月30日の仮決算役員会で、松井は正式に退任を表明しました。後任の社長は、彼が決めた中部嘉人常務です。
6月21日、株主総会でこれらの人事が正式に決定しました。松井は会長になることなく退任しました。同時に、私も文藝春秋を去ったのでした。
ただし、残念ながら新役員陣は松井が決めた人事案をそのまま決行し、主要な部署長会のメンバーの多くは、部下なしの編集委員にされました。私には「来年、元に戻す」といったメッセージも社内から届きましたが、松井が退陣した翌日に「報復人事」を修正していれば、もっと社内は平和であったと思います。ただ、少なくとも松井による恐怖政治の空気は一掃できたと思います。
あれから7年以上が過ぎました。出版不況は相変わらずで、文藝春秋もついに早期退職者の募集を始めたようです。松井社長時代の業績好調時に、もっと打つべき手はありました。私も流通や仕入れ関係で大きなメリットがありそうな提案をしたのですが、ことごとく社長に却下されました。あのときのロスがなければ、と思うと、当時のことが少し悔やまれてなりません。(文中一部敬称略)

