衆院本会議での首相指名選挙で選出された高市早苗氏(写真:REX/アフロ)
目次

(尾中 香尚里:ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員)

「自公」にも「立維国」にも無理があった

 参院選の自民党惨敗から3か月以上の政治空白の末に、高市早苗政権が21日、ようやく発足した。メディアはいつもの「ご祝儀相場」で、政権の行方ばかりに注目しているが、少し引いて国会の全体を俯瞰してみると、今回の政変とは「与野党のパートナーチェンジ」だったことが分かる。

 26年にわたった自民党と公明党の連立が崩れ、代わって野党第2党だった日本維新の会が、新たに連立に加わった。「自民・公明vs立憲民主・維新・国民民主など」の与野党の対立軸が、「自民・維新vs立憲・国民・公明など」と、組み合わせがたすきがけのように変化したわけだ。

 選挙で惨敗した自民党の内部事情だけでこれほど長い政治空白を生んだことは、全く評価できるものではない。しかし、結果として与野党の対立軸が、それ以前に比べて分かりやすくなったことについては、あくまで結果論ではあるが、一定の評価を与えてもいいと考える。

 もちろんそれは自民党の功績などではなく、単なる「けがの功名」に過ぎないのだが……。

「企業・団体献金の規制強化は1年以上前から主張していたが、自民党はいつも『検討する』(と言う)。政治への信頼回復のポイントの『政治とカネ』について、大きな前進がなかった」

「政治の安定のための連立という大義のもと、国民や党員、支持者に説明してきたが、自民党の不祥事を国民に説明し、応援することに、地方議員を含め限界が来ているのが現状だ」

 自民党との連立解消を決めた10日、公明党の斉藤鉄夫代表は、自民党との連立によって党内がどれだけ疲弊しているかを切々と訴えた。

 公明党の連立離脱の最大の理由が、企業・団体献金の規制をはじめとする「政治とカネ」の問題であったことは論をまたない。だが、高市政権に限ったことではなく、自民党の憲法や安全保障、外交姿勢や歴史認識が公明党のそれと大きく異なることは、はるか前から指摘されていた。

 公明党はこれらの問題で先走る自民党政権への「ブレーキ役」を果たすことに連立の大義を見いだそうとしてきたが、自民党の不祥事のあおりを食う形で選挙での敗北を重ね、我慢も限界に達したのだろう。高市内閣発足後初となる22日の野党国対委員長会談には、公明党の中川康洋国対委員長が初めて「野党」として参加した。

 実は自民党内にも、公明党が求める選択的夫婦別姓などを念頭に、「考え方が違う政党をなぜ応援しないといけないのか」という声はくすぶっていた。自民党も最近の選挙の惨敗について「安倍政権時代に党を支持した岩盤保守層が、国民民主党や参政党など他党に逃げた」と考える向きもあり、今回の公明党の連立離脱に「本当の保守が戻る」と期待する声もある。

 もちろん選挙協力を中心に、公明党との連携を重視する議員も少なくないが、「安倍政治の継承」をうたう高市政権の発足で、自民党は公明党に対しては、関係修復より、むしろ敵対的な姿勢を強める可能性がある。

 公明党の連離脱翌日の11日には、早くも朝日新聞が「自民党が次期衆院選で、昨年の衆院選で公明党が候補者を擁立した小選挙区に独自候補を擁立する方向」と報じたほどだ。

 そんなわけで「旧与党」の関係には相当の無理があったわけだが、それは「旧野党」の関係についても同様だった。