「政治的」「国家への介入」との批判も

 ノーベル平和賞の受賞者には、国家元首や政治リーダーが目立つという特徴もあります。国際紛争や国家間対立を収束に向かわせるのは、卓越した指導力を発揮する指導者たちです。しかも、国力を背景にしたパワーがなければ、現実の国際政治を動かすことはできません。そのため、平和賞にふさわしいと評価されるのは大国の指導者になりがちです。

 どんな指導者たちが平和賞を手にしてきたのでしょうか。主な顔ぶれを見てみましょう。

表:フロントラインプレス作成

 しかし、受賞者に関する疑義が多いのもノーベル平和賞の特徴です。

 例えば、1974年の受賞者になった佐藤栄作首相。非核三原則を日本の国是にしたとして選ばれましたが、受賞の決定時から国内外で疑問符がついていました。なぜなら、当時から日本の軍事面は米国と完全に一体化。米国は在日米軍基地を対共産圏の重要な前線基地ととらえており、核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」という3原則のうち、「持ち込ませず」の実現性は危ういと考えられていたからです。

 実際、佐藤政権時代の日米密約によって日本への核兵器持ち込みは容認されていたことがのちに明らかになりました。佐藤氏への授賞に関しては、ノーベル委員会自身も疑問を持っていたとする書籍がノルウェーで刊行されたこともあり、今なお、「本当に平和賞にふさわしい選考だったのか」と疑問視されています。

 賞の選定が「政治的ではないか」「国家への介入だ」と批判されることも少なくありません。

 東欧圏に民主化の息吹を伝えようとして東方外交を進めた西ドイツのブラント氏(1971年)、ソ連の人権活動家アンドレイ・サハロフ博士(1975年)への贈賞は、ソ連をはじめとする東側陣営から激しい反発を浴びました。ソ連が崩壊したあとも強権政治が続くロシアでは、2021年にプーチン政権批判を続ける独立系メディア「ノーヴァヤ・ガゼータ」編集長が受賞しましたが、そのときもロシア政府は激しく反発。やがて同紙を活動停止に追い込んでいます。

 中国でも同様のことが起きています。

 中国関係の受賞者には、チベットのダライ・ラマ14世(1989年)、中国で民主化運動に尽力した人権活動家・劉暁波(りゅう・ぎょうは、2010年)氏がいます。

 とくに劉暁波氏が平和賞に決まった際、中国は「政治的だ」と猛反発。国営新華社通信は「劉暁波は中国の法律を犯して懲役刑を言い渡された罪人だ」と強調しました。人民日報の国際専門紙・環球時報も「ノーベル平和賞は西側の利益のための政治的な道具に成り下がった。この賞を評定し、操る人は、中国社会が政治的な相違が原因で終わりのない紛争に陥り、ソ連式の分裂に向かうことを願っているのだ」と酷評しました。