西施は松尾芭蕉の俳句にも
西施の伝奇的な物語は、後世、さまざまな文学作品で取り上げられた。
唐の詩人・李白(701年—762年)は、彼の時代から1200年前の呉の後宮をしのび、七言絶句を詠んだ。
蘇台覧古 蘇台覧古
旧苑荒台楊柳新 旧苑の荒台 楊柳 新たなり
菱歌清唱不勝春 菱歌清唱 春に勝えず
只今惟有西江月 只だ今惟だ有り 西江の月
曾照呉王宮裏人 曾て照らす 呉王宮裏の人
大意は──いにしえの呉王の宮殿の廃墟。古い庭園、荒れ果てた建物に、やなぎの新緑が目に染みる。地元の女性たちが菱の実をつみながら歌う清らかな声の労働歌には、春の気分がみなぎっていて、それを聞く私の心は、どうしようもないほど感傷的になる。今も変わらずにあるのは西の川の月だけだ。かつて、呉王夫差の後宮の中のあの人(西施)を照らした、月だけが残っている。
日本の江戸時代の俳人・松尾芭蕉(1644年─1694年)は、『おくのほそ道』の旅で秋田の象潟(きさかた、現在の秋田県にかほ市の一部)に来たとき、その光景を次のような俳句に詠んだ。
象潟や雨に西施がねぶの花
日本の江戸時代の俳人・松尾芭蕉も西施の名前を使った俳句を詠んでいた(写真:a_text/イメージマート)
象潟は、日本各地にあった「潟」すなわち潟湖(せきこ)のなかでも、特に美しかった。芭蕉が来たころは、砂州で日本海とへだてられた遠浅の潟湖の中に大小の小島が浮かぶように見え、趣があった。残念ながら、潟湖の常で、川が運んでくる土砂が堆積し、今は海辺の平野になってしまった。往事の小島の面影は、今は小さな丘として点々と残っている。
「ねぶの花(合歓の花)」は「合歓木(ネムノキ)の花」の意で、晩夏の季語。合歓木は、夜になると葉を閉じて眠ったように見えるので、この名がある。
北宋の文人政治家・蘇軾(そしょく、1037年─1101年)は、風光明媚な西湖(せいこ、浙江省杭州市)の美しい風景を詠んだ漢詩のなかで、湖の風景の美を、西施の化粧の美とくらべた(七言絶句「飲湖上初晴後雨」)。芭蕉のこの俳句は、その趣向に学んでいる。雨にけむる象潟の落ち着いた美しさ。胸を病んで顔をしかめた西施の面影。葉を閉じる合歓木の、そこはかとない色香(「合歓」には男女が同衾する意もある)。それらが一体となった見事な俳句である。
この俳句を奇縁として、平成に入り、秋田県にかほ市は、西施の生まれ故郷である中国浙江省諸曁(しょき)市と友好提携を結んだ。にかほ市で行われる「西施まつり」では、毎年地元で選ばれる二人の少女が西施の扮装をして、舞いを披露する。
西施の美しさは、范蠡や呉王夫差だけでなく、今も人々の心をとらえているのである。
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