田沼意次(Kougen/PIXTA)
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 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第28回「佐野世直大明神」では、田沼意知(おきとも)が佐野政言(まさこと)に斬られて、志半ばで命を落とす。憔悴する誰袖(たがそで)の姿に、蔦重は意知の無念を晴らす術を考え始めた──。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

『営中刃傷記』や『徳川実紀』に基づいて殺傷事件を映像化

 今回の放送は、田沼意次の息子・意知が、旗本の佐野政言に斬りつけられるところから始まった。

 この事件は天明4(1784)年3月24日、執務を終えた老中たちが御用部屋から退出し、続いて若年寄たちも退出しようとしたときに起きた。意知が桔梗(ききょう)の間へさしかかったときに、政言にいきなり襲われる。

 経緯は、寛永4(1627)年から文政6(1823)年までの江戸城内で起きた刃傷事件についてまとめた、作者不明の『営中刃傷記(えいちゅうにんじょうき)』が詳しい。〈佐野善佐衛門御番所より走出、山城へ飛懸り切付候所〉とあるように、政言が新番所から走り出て意知に飛びかかり、斬りつけたという。

 ドラマでは、意次が政言の刀をとっさに鞘で受ける様子が描写された。このシーンは『徳川実紀』の次の記述に基づいたものだ。

〈新番の士佐野善左衛門政言直所よりはしり出。刀ぬきて田沼山城守意知に切かけたり。意知殿中をやはばかりけん。差添をさやともにぬきしばしあひしらひたりしに〉

「殿中をやはばかりけん」とあるように殿中、つまり城内であることに配慮した意知は、鞘のままで佐野の刀を一度は防いだが、次の一太刀で肩から袈裟切りされてしまった。

 その際に、政言は「御覚可有(御覚えあるべし)」と三度も口走ったと『営中刃傷記』には記されている。その記述をもとに、ドラマでは政言が「覚えがあろう」と繰り返しながら、意知に迫っている。文献に基づきながら、緊迫したシーンが描かれることになった。