中国・ハルビンにある731部隊の細菌戦センター跡(写真:ロイター/アフロ)
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 第二次世界大戦中に、非人道的な人体実験をしたことで知られる731部隊(関東軍防疫給水部)。開発された細菌兵器は、中国大陸で実戦に投入された。日本軍に細菌戦という禁じ手を選択させたのは、国際情勢の変化と中国戦線の膠着である。

 細菌兵器はどのように使われたのか、なぜエリート軍医たちは細菌兵器開発に手を染めたのか。『七三一部隊の日中戦争 敵も味方も苦しめた細菌戦』(PHP研究所)を上梓した広中一成氏(愛知学院大学文学部准教授)に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

──第二次世界大戦中の日本軍の細菌戦部隊といえば「731部隊」が有名ですが、今回の書籍ではそれ以外の部隊の活動についても詳しく取り上げられています。これらの部隊はどのように成立し、なぜ細菌戦にかかわるようになったのでしょうか。

広中一成氏(以下、広中):731部隊は関東軍の「防疫給水部」に属する組織で、その起源は1933年、軍医の石井四郎中将らが満州で設立した「東郷部隊」にさかのぼります。

 1936年に関東軍防疫部が発足すると、東郷部隊は防疫給水部、すなわち731部隊へと改組されました。防疫給水とは軍の衛生業務、つまり伝染病の予防と安全な水の供給を指します。当時の中国大陸は衛生環境が劣悪で、日本兵を伝染病から守ることや清潔な水の確保が重要な課題でした。

 1937年に日中戦争が勃発すると戦線は拡大し、731部隊の一部が各地へ派遣されました。北京の「甲1855部隊」、南京の「栄1644部隊」、広州の「波8604部隊」、さらに太平洋戦争開戦後にはシンガポールの「威9420部隊」も設立され、いわば731部隊の姉妹組織として機能しました。

──なぜそのような衛生部隊が細菌兵器の開発や細菌戦にかかわるようになったのでしょうか。

広中:731部隊創設者・石井四郎は防疫業務とは別に、細菌兵器に強い関心を抱いていました。

 1925年に成立したジュネーブ議定書で化学・生物兵器の使用が禁止され、日本も1930年に署名しましたが、石井は「禁止されるということは効果がある証拠だ」と解釈し、研究テーマに据えたのです。

 石井の考えに賛同するかたちで日本陸軍や関東軍も石井の計画を後押しし、細菌兵器の研究開発に乗り出します。ただ、それを正面から進めれば、国際社会から強く非難されることは明らかでした。そこで形式上は「防疫給水」を名目としつつ、実際にはその裏でひそかに細菌兵器の研究や製造が進められていたのです。

──日本の細菌戦は、主に「PX攻撃」と呼ばれるものでした。これはどのようなものなのでしょうか。

広中:PX攻撃とは、ペスト菌(P)に感染させたノミ(X)を空中から散布する作戦です。

 当初、731部隊は細菌そのものを空からまく方法を検討しましたが、空気抵抗で死滅し、地上での効果がほとんど得られないという課題がありました。そこで生きた媒介体を利用する発想に至ります。ノミはペスト菌の自然な運び手であり、生きたまま地表に到達できるため、感染拡大の可能性が高いと判断されました。

 繰り返しの実験の末、実用性が確認され、1940年に「ホ号作戦」として初めて投入されます。

──「ホ号作戦」とは?