2025年7月8日、モンゴル・ウランバートルの「日本人死亡者慰霊碑」に供花した後、遺族の鈴木富佐江さんに声を掛けられる天皇、皇后両陛下。奥は日本遺族会会長の水落敏栄さん(写真:代表撮影、提供:産経新聞社)
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つげ のり子:放送作家、皇室ライター)

何年もかけて第二次世界大戦の激戦の地を訪れてきた上皇ご夫妻

 天皇皇后両陛下が、2025年7月6日から13日にかけて、大草原が広がるモンゴルを公式訪問された。ご滞在中、祖国への帰還がかなわず、北の大地で無念の思いを胸に没した日本人抑留者の慰霊碑に花輪を供えられ、深い祈りを捧げられた。

 この慰霊碑には、第二次世界大戦後、旧ソ連軍によって拘束され、極寒のシベリアや中央アジアなどからモンゴルへ移送された日本人捕虜、約1万4000人の抑留者のうち、劣悪な環境の中で、重労働と飢餓によって命を落とした約1700人が眠っている。

 これまで天皇皇后両陛下が、深い慰霊のお気持ちを胸に供花されてきたのは、今に始まったわけではない。平成の時代、上皇陛下が天皇だった頃、美智子さまとともに、何年もかけて、第二次世界大戦の激戦の地を訪れている。

 戦後50年を翌年に控えた1994年には、日米合わせて2万人以上が戦死した硫黄島をご訪問。激戦の爪痕が今も残る地で、深々と哀悼の思いをささげ、これが上皇ご夫妻の「慰霊の旅」の、象徴的な第一歩となっていった。

1994年2月、太平洋戦争の激戦地、硫黄島で「鎮魂の丘」の碑に献水される天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)/写真:共同通信社

 2005年には、民間人も巻き込んだ壊滅的な戦闘が行われたサイパン島。2015年には、守備兵の9割が戦死したパラオ共和国のペリリュー島を訪れている。

2005年6月、サイパンのバンザイクリフを訪れ、黙とうされる天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)/写真:共同通信社
2015年4月、パラオ・ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」に供花される天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)/写真:共同通信社

 上皇ご夫妻は現地の戦没者慰霊碑で黙とう・献花をされ、現地住民や米・豪軍犠牲者への追悼も示された。このご訪問は、戦後70年という節目の年にあたり、戦後日本の平和と国際協調を象徴する行為として、国際的にも大きな反響を呼んだ。おびただしい犠牲者を出した南方戦線の悲痛な歴史に、皇室としてのひとつのけじめをつけたと言っても過言ではない。

 国内でも、米・英軍による陸上戦によって多くの民間人が犠牲となった沖縄、そして地球上で唯一、原子爆弾の甚大な被害を受けた広島・長崎に足を運ばれ、理不尽に命を奪われた人々への哀悼を示された。

1989年9月9日、広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑に花束を供えられる天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)/写真:共同通信社

 戦時の記憶を抱き今も悲しみがよみがえる人たちには、そっと寄り添い、献身的に尽くされてこられた。上皇ご夫妻の「慰霊の旅」は、戦後日本の平和の礎として、今も多くの国民に記憶されている。

 しかし、皇室の「慰霊の旅」が終わったわけではない。