中雀門跡の枡形 撮影/西股 総生
(歴史ライター:西股 総生)
はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回の「江戸城を知る」シリーズとして、江戸城の二の丸と本丸の虎口を紹介します。
ここまで3回にわたって江戸城の門と枡形を紹介してきて、田安門・清水門・大手門・桔梗門・坂下門・西の丸大手門・半蔵門と7箇所をとり上げたが、これらは全て外まわりの濠端にある門でしかない。何と、われわれはまだ城内に突入していないのだ! 江戸城の巨大さ・堅固さ、恐るべしである。
二の丸と本丸の虎口〜建物がなくても見所満載
二の丸の内側から見た三の門跡の枡形。通路が直角に折れて入ってくる様子がわかる
以下、ようやく城内の虎口と門を紹介してゆこう。まずは大手門から三の丸に入り、新装なった三の丸尚蔵館の前を通って二の丸へ向かう。
このとき大手三の門跡を通るのだが、門の建物が残っていないので、ほとんどの人は「進路が折れたなあ」くらいに通り過ぎてしまうが、それは巨大な枡形なのである。
二の丸は意外に複雑な縄張になっていて、複数の区画に分かれている。三の門跡を通って少し直進し、右に折れると中之門跡。三の門跡から右に3回、直角に折れると銅門跡をそれぞれ通って本丸へと向かう。二の丸に侵入した敵を分断し、進路変更を何度も強いながら、その度に虎口をくぐらせ、敵を封殺する恐ろしい縄張だ。
二の丸中の門跡。渡櫓門単体の虎口ではあるが、中の門を入ると本丸の高石垣に突き当たって通路が左に折れる。実質的には枡形と評してよい縄張となっている
もちろん一般の観光客は、スマホで自撮りなどして悦に入っているから、この恐ろしい仕掛けには露ほども気付かずに歩いている。中之門跡や銅門跡にも気を留めないが、本稿の読者は足元に注意しながら歩いてみてほしい。
近世城郭は石垣が目を引くので、城好きの人でも石垣を愛でながら歩いていることが多い。それはそれでよいのだけれど、ただ城内で進路が直角折れる場所は、たいがいが虎口跡なので、足元に気を配っていれば礎石に気付くことができる。江戸城の各所に残っている礎石は、見逃すにはもったいないほど立派、つまり巨大かつ加工が丁寧なのだ。
中の門跡の石垣。積み石の大きさに目を奪われるが、礎石と敷石の大きさも瞠目ものだ
二の丸から本丸に入る虎口としては、北から梅林(ばいりん)門・汐見坂(しおみざか)門・中雀(ちゅうじゃく)門・埋(うずみ)門があって、非公開の埋門跡を除く3箇所は、いずれも枡形となっている。高麗門も渡櫓門も残っていないけれど、ここまで本稿を参照しながら江戸城を歩いてきた読者なら、枡形虎口の妙味を存分に楽しむことができるだろう。
梅林坂門跡の枡形を本丸側から見たところ
梅林門・汐見坂門・中雀門(トップ写真参照)とも、枡形に至るまでに急坂を登らされる。あまりにも広大ゆえに平べったく見える江戸城が、実は平山城で、二の丸と本丸の間にはかなりな高低差があることを、足の裏から理解できる瞬間だ。
本丸の櫓台跡から見た汐見坂。坂を登り切った写真左手に枡形がある
なお、汐見坂門の名は、かつてこの場所から海を望んだことによる。現在、汐見坂の枡形の所で振り返ると、大手町・丸の内・日比谷あたりのビル街を眺めるばかりだが、徳川家康が入部した頃は、そのあたりはまだ遠浅の海だったのだ。
汐見坂門跡の枡形。かつてはここから日比谷の入江が眺められた
中雀門跡(トップ写真参照)の石垣。石垣が焼けているのは、幕末の火災で本丸が全焼した際の被災痕
そうそう、三の丸の北西端から二の丸に入るところにも、下梅林門跡がある。ここは三の丸の端と二の丸の端が、それぞれに突き出して、枡形をダブルにしたような興味深い縄張となっている……と、言葉で説明しても、なかなかピンとこないと思うので、ぜひ現地で、自分の目と足で確かめてみてほしい。
二の丸の下梅林門跡。このあたりの縄張は非常に巧妙かつ厳重である
城は、そもそもが巨大な立体構造物なので、図面なんかを見ながら机上で知識を蓄えるより、現地で実物を見る方が、本質を理解できるのだ。









