18世紀前半の出島の様子(写真:akg-images/アフロ)
日本に初めてチョコレートが上陸したのは江戸時代の長崎・出島のようで、オランダ人から遊女がもらったという記録がある。さらに、最後の水戸藩主徳川昭武や、パリを訪れた岩倉使節団も味わったという。では庶民がチョコレートに親しむようになったのはいつごろからか、時代を追って解説する。(JBpress編集部)
(市川歩美、ジャーナリスト)
※本稿は『味わい深くてためになる 教養としてのチョコレート』(市川歩美著、三笠書房)より一部抜粋・再編集したものです。
南米で生まれたカカオは中南米、ヨーロッパへと伝わり、チョコレートとしてヨーロッパ各地に広がっていきました。
それでは、私たちが暮らす日本にはいつ、どのように入ってきたのでしょうか? そしてどのように広がっていったのでしょうか? そんな疑問にお答えします。
オランダ人が遊女に贈った「しょくらあと」
まず、日本に初めてチョコレートが伝わったことがわかる、最も古い記録は長崎県にあります。
ときは江戸時代。
1797年に、遊女がチョコレートを長崎の出島のオランダ人から受け取ったとする記録が残されています。
それは、長崎の有名な遊郭街・丸山町の『寄合町諸事書上控帳』で、遊女の貰い品目録に「しょくらあと六つ」と書かれていることからわかります。
「しょくらあと」とは、チョコレートのこと。チョコレートを6つ、受け取ったということです。
さらに1867年、パリで開催された万国博覧会に江戸幕府の代表として赴いた、第15代将軍徳川慶喜の弟で水戸藩主の徳川昭武がフランス・シェルブールのホテルでココアを味わった記録も残っています。
徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に赴いた徳川昭武(1867年頃)。その後フランスで留学生活を送っていたが、明治維新のために急遽帰国し、最後の水戸藩主となった。(写真:桜堂/アフロ)
岩倉使節団がパリのチョコレート工場を視察
つづいて明治時代。
かの有名な岩倉使節団も、チョコレートと深い関わりがあります。
1873年、岩倉具視を特命全権大使とする使節団が、フランスを訪れました。
このとき、使節団はパリ郊外のチョコレート工場を視察し、チョコレートを味わったとされています。
この出来事は『特命全権大使 米欧回覧実記』に記録されています。

