マネジャー冥利に尽きる仲間からの言葉
髙橋監督は、ストレートにはものを仰らない方でした。そこで、私は監督の言葉を聞きながら、考えました。「今の言葉の裏には、何があるんだろう?」「監督はこう仰ったけど、本音はどうなんだろう?」。すると、監督との心の距離も縮まっていくのを感じました。
髙橋監督はグラウンド全体を常に把握しておられました。「監督は背中にも目がついているんじゃないか?」と思うほどでした。
たとえば、ホームベース付近である選手の打撃練習をマンツーマンで指導されている。それなのに、外野フェンスのそばを黙々と走っている投手が見えていて、ボソッと独り言のように「アイツ、頑張ってるな」と仰るのです。
その言葉を聞いて、私が選手に「監督が『頑張ってるな』って褒めておられたぞ」と伝える。すると、選手はとても喜びました。
髙橋監督は選手を直接褒めることは少なかったと思います。直接言われるよりも第三者から伝わったほうが、信憑性が増す。髙橋監督は心理的な効果を理解したうえで、私を通して選手に伝わるようにしておられたのだと思います。
4年生の秋。学生ラストシーズンには、リーグ戦で初の連覇と明治神宮大会で初優勝を果たしました。その後、同期の仲間たちが口々に私に言ってくれたんです。
「お前がマネジャーでよかったよ」
マネジャーの仕事というのは、できるのが当たり前です。できなかったら叱られますが、できたからといって評価はされません。だから、仲間たちの言葉はマネジャー冥利に尽きる最高の褒め言葉でした。

失敗から学び、成長する
私は失敗ばかりする、未熟なマネジャーでした。リーグ戦の試合でメンバー表を記入する際に、打順を間違えた。大学日本代表に選ばれて海外に遠征する選手のパスポートの申請を先延ばしにして、代表チームへの提出が遅れてしまった。挙げればキリがないくらい、いろいろなミスをしました。
そのたびに、髙橋監督に叱られました。しかし、どんな失敗をしても、最終的には許してくださったのです。ありえないミスをして、責任を取って辞めるつもりで退部届を提出しようとしたときも「これは預かっておくから」とただ一言、仰いました。
ミスを繰り返さないように、次からしっかりやれ。失敗から学んで成長しろ。これは、人生に通じると思います。
東洋大で髙橋監督に出会うことができ、人として教育していただいた。私の人生にとって、大きな大きな4年間でした。
大学時代に髙橋監督から教わった「人徳力」は、高校時代の坂井先生の「友喜力」ともつながると思います。
社会に出てから、私はこの「友喜力」と「人徳力」の大切さを常に感じています。
たとえば、営業の仕事。取引先が考えるのは、つまるところ「誰から買うか」です。人を喜ばせる力や、人と人を結び付ける人徳があるからこそ、「この人に任せたい」と思ってもらえるのではないでしょうか。
こうして考えれば考えるほど、野球とビジネスや人生は結びつくものですね。
自分のためだけでなく、仲間のため、お客様のために全力を尽くす。その先にこそ、チームや会社への貢献があり、人生が豊かになります。野球は、まさにビジネスや人生の縮図なのです。(続く)
【後編】社会人野球のマネジャーは小さな会社の経営者だった!財務、広報、人事総務、営業……そこで身につけた「先読み力」
川上哲矢(かわかみ・てつや)
1985年熊本県出身。九州学院高校野球部の1年時に選手からマネジャーに転身。東洋大学では4年時に主務を務め、2007年の東都大学リーグ戦の春秋連覇と明治神宮大会初優勝を果たしたチームに貢献した。2008年にセガサミーに入社して、野球部マネジャーとなり、2021年までの14年間にわたってチームを支えた。マネジャー退任後は人事部で社業に就いた後、2022年6月に退社。2022年の7月から2023年6月まで十九浦産業での勤務を経て、2023年9月にNICE BOX株式会社に入社。野球振興イベントによる普及活動や野球スクールの企画・運営をしている。
◎NICE BOX株式会社Instagram
◎MAKE PROGRESS 中3育成会
◎HERAW BASEBALL
佐伯 要(さえき・かなめ)
1971年和歌山県生まれ。早稲田大学人間科学部卒業後、16年間のスポーツメーカー勤務を経て、2009年にスポーツライターに。「取材の量と原稿の質は比例する」をモットーに、野球を中心に取材・執筆している。著書に『1980年早実 大ちゃんフィーバーの真実』(ベースボール・マガジン社)がある。