(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
手つかずの自然という価値観の「自然遺産」
世界遺産が誕生した理由については、クイズ番組で出題されるほど有名になっている。1960年代にアスワン・ハイダムの建設によって、アブシンベル神殿をはじめとするナイル川上流の“ヌビア地方の遺跡群”がダム湖の水底に沈んでしまう危機に陥り、ユネスコが「ヌビア遺跡救済キャンペーン」を呼びかけると、大きな注目を浴びた。世界50カ国から支援金や技術協力がエジプトに寄せられ、古代の文化財を高い場所へ移築することで、神殿や聖堂・岩窟墳墓など20件以上が救われたのだ。
ヌビア遺跡の移築は、「人類共通の宝を、世界中が協力して守ろう」という新たな理念を生み出す。そして1972年に誕生したのが世界遺産条約である。しかし成功の陰で、現実には1000近い遺跡がダム湖の底に沈んでいる。
実は世界遺産には、もう一つの生みの親がある。1872年に世界で初めて国立公園に指定された「イエローストーン」だ。ロッキー山脈のただ中で、黄色い峡谷には滝の音が轟き、虹色にかがやく温泉があり、草原にはバイソンが群れをなす。アメリカ人は、西部開拓以前の自然が残された土地として“心の故郷”を感じるという。
アメリカ政府は、この自然保護の先駆けとなった国立公園の設立100周年を祝うために、世界中の優れた自然をリスト化して管理できないかと考えた。これに、ユネスコが進めていた国際協力による文化財保護の理念が重なり、正に1972年だからこそ採択できたのが世界遺産条約なのだ。
こうして一つの条約で自然と文化を共に保護しようとする、類例のない“国際条約”が誕生する。「イエローストーン国立公園」(登録1978年、自然遺産)は、わずか12カ所から始まる最初の世界遺産(2025年6月現在、1223件)になった。
この経緯から自然遺産には、アメリカの国立公園が採用する「ウィルダネス」という考え方が色濃く反映している。“人の手を加えない”という保全・管理の方法で、例えば山火事が発生しても消火活動を行わない。積もった灰が肥料になり、植物が再生するのを待つ。当然、価値があると認められるのは「手つかずの自然」に偏っていく。

