逆境乗り越え、キャリアパス切り拓く
一方で、石川氏もまた野口氏と同じ会社に営業として入社し、そのキャリアをスタートさせました。
入社当初より持ち前の明るさや高いコミュニケーション力を武器に、顧客との対話を徹底的に重ねる営業スタイルでした。
会社や製品・サービスではなく、まず顧客との信頼関係を築き上げながら大型案件を獲得することが得意でしたが、一方でシステムインテグレーションの世界においては、事業部門のソリューション営業職として求められるスキルは多岐にわたりました。
戦略立案、提案力、プロジェクト管理、トラブルシューティングや複雑な個別見積・契約書の作成等、求められる業務の幅に対して、自分が不得意だと感じる領域が多くを占めていたのです。
結果、得意である大型案件の受注に漕ぎつければつけるほど、その後のフェーズで自身にとっては不得意なプロジェクト管理等の業務が多数発生しました。
結果的に顧客とのトラブルを自ら収束できず社内外のメンバーに迷惑をかけてしまうという悪循環を繰り返し、求められる業務内容と自分の適性との間で深い苦悩に直面しました。
この苦悩は、彼の人生に大きな影響を与えました。
2008年には心身の不調により3か月間の休職を余儀なくされ、復帰後も同じ会社での営業職を続ける中で、2017年には2度目の精神疾患を経験しました。
2度目は「自分はいつまでも社会で活躍できない、もう人生を一度終わらせてやろうか」とまで思うほどの絶望感を味わったと言います。
しかし、2度目の休職からの復帰に際し、石川氏は大きな志を持ったと言います。
「人生一度きり、絶対に自分の個性を活かして社会貢献する」という強い思いです。
彼は2度の挫折を経て、「志」と現実にギャップがあるのは「自分の武器である得意な動作が、仕事で求められる業務・動作にアンマッチを起こしているだけなのでは」と気づきました。
この気づきが、彼のその後のキャリアを大きく変えるきっかけとなりました。
当時、会社では「社会価値創造企業になる」という目標を掲げており、その理念は石川氏の「社会貢献したい」という価値観とほぼ合致していました。
しかし、彼は長年営業職しか経験しておらず、「自分には営業しかできない」というレッテルを自分自身に貼って、コンフォートゾーンから動けずにいました。
そんなとき、石川氏がたまたま出席した会社主催の社員の活躍を祝う表彰式の会場で、大企業の幹部を前に物怖じもせず、会場のオーディエンスを盛り上げながら全体を進行・ファシリテーションする 「司会者」の輝くようなパフォーマンスに目を奪われました。
表彰式の場そのものを一つのエンターテインメントに昇華させていた人、それが野口氏だったのです。
彼は「目の前に、同世代風のとてつもない人がいる」と強烈な印象を受けたと同時に「あれなら自分にもできるかもしれない、羨ましい、やってみたい」と感じました。
キャリアの暗闇にいた最中、一瞬でも心が躍ったことを今でも鮮明に覚えているそうです。
ただ、あまりに高い彼のパフォーマンスに「あそこまで巧みに場を支配し、楽しい空間を創ることができるなんて、どうせ外部のプロの人間だろう」と思い、イベント業の司会等ができるエンターテインメント業界への転職なども頭によぎりながらその日は帰宅しました。
しかし、翌日でした。偶然にも自宅付近のベーカリーで野口氏と偶然遭遇し、彼が同じ会社の社員であることを知ります。
これが2人の運命的な出会いとなりました。
さらに偶然にも石川氏の会社の親友が野口氏のシステムエンジニア時代の戦友であったことが分かり、この偶然の一致に導かれるように、石川氏は野口氏が当時進めていた新しいプロジェクトに参画することになります。
石川氏は、スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ」、そして「他人の人生を生きず、自分の信じた道を行け」というメッセージを自身の胸に秘め、また今までの挫折経験を武器に変え、野口氏と共に大きな夢を描きながら同じ船に乗りたいと強く願い、今までの営業時代に築いた18年間のキャリアを捨てて、全く異なる部門とミッションにゼロからキャリア転換しました。
共に活動する中で、野口氏の「多くの人に驚きを与え、心躍らせる(エンターテインメント)」という志が自身の芯にある思いとも共通することから、より深く2人は連動し、それぞれの個性を発揮しながら大手企業での活動の幅を徐々に広げていきます。
(後編につづく)