さらに言えば、CSTIの有識者議員の人選も不透明だ。内閣府設置法で有識者議員は「科学または技術に関して優れた識見を有する者」と定められているが、その具体的な選考方法は公表されていない。
任命拒否をした菅氏は2020年当時、学術会議について「閉鎖的で既得権益のようになっている」と繰り返したが、予算や人材などの資源配分に直接的な発言権を持つCSTIこそ、透明性を高めるべきだろう。
トップダウンだけではイノベーションは生まれない
日本の研究力は相対的に低下しつつあるが、私はこれまでの取材から、その大きな要因は、国立大学の運営費交付金の削減と、過度な選択と集中、さらにボトムアップ型の基礎研究の軽視だと考えている。
長期的な視野に立ってボトムアップ型で科学者の意見を集約し、時には政府やCSTIにとって耳の痛い内容も提言する学術会議の役割は大きい。学術会議が法人化によって弱体化し、仮にも「なくなって」しまったら、もはやCSTIの方針に口をはさむ機関はなくなる。科学技術政策における「出口志向」と「選択と集中」の傾向はますます強まり、研究力のさらなる低下を招くのではないだろうか。
それは、政府やCSTIが追い求めるイノベーションの芽も生まれてこなくなることを意味する。
車は片輪だけでは走れない。多くの反対や懸念の声を無視してこの法案を成立させることは、梶田氏が憂慮するように、まさに“終わりの始まり”になるだろう。日本の学術は今、大きな分岐点に立っている。