難しいことを簡単に教えるのがあるべき教養教育
今の計算に難しい言葉は何一つ使わないよう注意しましたが、これは多項式関数の微分

の簡単な実例として a=1, n=2 とした

に相当する計算を、スケボーから出発してAIの最適化演算のおまけつきで話したもので、実際中学生向け45分1コマの授業で十分実施が可能なものです。
といって、どういう生徒が対象かによって、話は違ってくるのは承知の上ですが、ごく平均的な生徒ならついて来られる程度の授業案としてご紹介しました。この議論の中には、決して

などという、宇宙人の新言語のようなものは登場しない。
できるだけ、子供たちがすでに知っている表記だけで、新しい概念を、既知の生活体験に取材しながら会得させていくのが、教程を作る上でのポイントです。
難しいことを難しく言うのは、実に簡単です。というか、博士の学位審査などで、平易に説明できないなら、私は落とします。
「人生急ぐばかりではないよ、もう一回、出直してきてもいいんじゃないかな?」と再考を促すわけです。
本当の実力は、難解に見える内容について、本質を値引きせず、平易な表現で多くの人に理解できるよう伝える方法を、6つでも7つでも持っていること・・・といった趣旨のことを、物理学者R.P.ファインマンが述べており、私には10代からの座右の銘です。
難しいことを平易にきちんと伝えるのが、本来の知のプロの役割。
いまメディア上には、そうした議論以前のデマゴギーが横溢して、それに若い世代が馴れてしまっていることに、私は「国難」という言葉を想起します。
普通の正気を保つ程度の理性、教養を、「専門家」と称するタレントを妄信するのでなく、公衆の一人ひとりがきちんともてること。国立大学に籍を置く一教官として、常に大切に考えています。
こうした話題は「小学生に教える積分」「中学生に教える高校物理」「高校生に教える社会で使える数理・物理」などいくらでもあります。
30年来大学ではこういうことを扱っていますので、適宜ご紹介していきたいと思います。