攻めのジャパン、受けの全日本の戦い
「彼らにつくづく感じたのは理屈に合わない、基本に忠実でない、セオリーにない面白さということだった。私たちが力道山に教えられ、アメリカで覚えさせられたセオリーを、彼らはまったく無視して自分たちが好き勝手にやっているプロレスだが、それがかえってファンに受けていた。でも日本では人気が出ても、世界には通用しない。一流選手はやはりセオリーを踏み外さないものだ」というのが馬場のジャパン選手評。
全日本vsジャパン対抗戦の面白さはスタイルが違うがゆえの緊張感、そして試合がスイングしないギクシャク感にあった。
全日本担当記者だった私は、全日本の選手から「あいつらはプロレスを知らない」と聞かされ、ジャパンの選手からは「あんなチンタラしたプロレスに付き合ってられない」という言葉を聞かされたものである。
「やりにくかったよ。彼らは一切、こっちの技を受けないって感じだったから。それに試合に間がない。だからバタバタだった。〝じゃあ、こっちも受けなくてもいいだろう!〟って、試合がガチガチしていたけど、でも逆に受けている方が強く見えるんだよね。3人掛かりでボコボコにやられたって全日本の選手はギブアップしないんだから。そこまでやってもジャパンの連中が攻めきれないなら〝最終的には全日本の方が強い!〟ってことになるからさ」と振り返るのは職人として知られるザ・グレート・カブキ。
渕正信も「あの時は彼らも張り切って来たし、全日本に融合しないで自分たちのスタイルをそのままやりたいという気持ちがあったと思うんだよ。間を取ってやるっていう試合スタイルじゃないし、試合時間も短いし、最初は戸惑ったけど、向こうのペースで試合をやってもこっちは対応できるっていうものが生まれたんだよね。だから、やらせるだけやらせてやろうと。それでお客さんがワーワー来たから」と言う。
2代目タイガーマスクとして〝虎ハンター〟小林邦昭との抗争がスタートした三沢光晴は「簡単に言えば〝攻め〟と〝受け〟の違いだよね。向こうは〝やったもん勝ち!〟みたいなところがあったじゃん。でも感じたのは、燃料切れは早かったよね。向こうが最初ガンガン来ても、攻められても、それを凌ぎ切れば意外と勝機が多かったなっていうのはあるよね。もちろん、こっちはどう来られたにしても、凌げる自信を持っていたし。ただ俺自身、ちょっと体重が増えてきたっていう微妙な時期で、身体も今ほど大きくなかったから、受けるダメージは大きかったかもしれないけどね」と、後年になってジャパンとの対抗戦を語っていた。
当時はファンの間に「受けのプロレス」という見方が浸透していなかったために、どうしても「攻めるジャパン、防戦一方の全日本」というイメージが付いてしまったが、そんな中でもジャパンの選手がコントロールできなかったのが、身体の大きさとナチュラルなパワー、無尽蔵のスタミナを誇る鶴田だ。
「外国人レスラーとの試合は、倒れた時にすぐ起き上がらなくても攻撃してこない。でもジャパンの選手の場合は倒れたらすぐに攻撃してくるから、すぐに起き上がって攻撃するところがないと試合が成立しないんだよ。鶴田さんはジャパンの選手よりも背が高いから、バンバン技を食らっても、すぐに反撃に転じる時の見栄えとか迫力がジャパンの選手の攻撃を上回っていたよね。鶴田さんがあの大きな身体でそういう動きをやると〝回復力が凄い!〟と。それに背の高い人間が上から攻めてきたら、低い人間は頭を下げざるを得ないから、それもファンには凄く見えたんだろうね。あの対抗戦から徐々に鶴田さんの評価が変わっていったと思うんだよ」という渕の分析は鋭い。
どんなにガンガン攻めても涼しい顔で起きて、ことさら余裕を見せる鶴田にジャパンの選手は辟易したに違いない。

86年3月13日に日本武道館で実現した全日本vsジャパンのシングル6vs6全面対抗戦で鶴田に敗れて「負けたーっ!」と絶叫したアニマル浜口は、後年になって全日本及び鶴田について聞かれて、こう答えている。
「国際プロレス時代にも全日本と対抗戦をやっていましたけど、3年ぶりに全日本に上がって、選手が大きいのに改めて驚かされましたね。馬場さんはもちろん、鶴田さん、源ちゃん(天龍)、みんな大きい。僕のような小粒なレスラーにとっては、相手が大きいというのは、もうどうしようもないところがある。鶴田さんは大きい上にスタミナもあり、打たれ強く頑丈で、実によく整ったレスラーでした」
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