最強なのに、NO.1を取れなかった謎の男、ジャンボ鶴田——。
元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏は、誰も踏み込んでこれなかったその「謎」を解き明かすべく、取材を続けている。
「鶴田の何が凄かったのか、その強さはどこにあったのか、最強説にもかかわらず真のエースになれなかったのはなぜなのか、総合的に見てプロレスラーとしてどう評価すべきなのか――。もう鶴田本人に話を聞くことはできないが、かつての取材の蓄積、さまざまな資料、関係者への取材、そして試合を改めて検証し、今こそ〝ジャンボ鶴田は何者だったのか?〟を解き明かしていこう――」(小佐野氏)
2020年5月には588頁にわたる大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』を上梓。大きな反響を呼んだ。
それでも小佐野氏の取材は終わらない。2023年7月からはこの『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』に大幅加筆を施す形で、新たな証言を盛り込んだ「ジャンボ鶴田」像をオンラインメディア『シンクロナス』で配信し続けている。
今回は『永遠の最強王者ジャンボ鶴田」完全版』から 当時の日本プロレス界では珍しかったスープレックスを4種類も使いこなしていた「驚異の新人」ジャンボ鶴田が、いかにしてその技を身につけたのかをお届けする。
日本のファンにイメージを植えつけた日本テレビの戦略
日本でデビューも下積み生活もせず1973年3月22日に渡米、テキサス州アマリロのファンク・ファミリーに預けられた鶴田友美は現地で初マットを踏み、当時のNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアにも挑戦。
約半年の海外修行を終え、10月1日に帰国した。
渡米する時にはスポーツ刈りの垢抜けない青年だったが、帰国前にハワイに寄って肌をこんがりと焼き、長髪に変身した姿は、アメリカの開放的な空気をまとって底抜けに明るく、新たな時代のスター性を感じさせた。
鶴田がアマリロで修行していた半年間、全日本プロレスを中継する日本テレビも未来のスター選手として売り出すためのプロモーションを展開。
当時はインターネットもなく入ってくる海外の情報は限られていたが、鶴田のアマリロでの活躍を様々な方法を使って全日本プロレス中継の中で伝えた。
渡米から2ヵ月後の5月19日の放送で『鶴田選手紹介第1報』として写真で紹介。5月26日の『第2報』ではドリー・ファンク・ジュニアとの対戦の模様も写真で紹介した。
初めての“動く鶴田”は、7月7日にザ・ビースト相手のデモンストレーションテープを放映。
これはアマリロのTVマッチで『ウェスタン・ステーツ・スポーツ・プロモーション』が撮影したフィルムを提供してもらったもので、鶴田がビースト相手にダブルアーム、サイド、フロント、ジャーマンの4種類のスープレックスを披露し、それをスローで分解して、山田隆(東京スポーツ)が後付けで解説したもの。1分29秒の短いフィルムだったが、インパクトは大きかった。
さらに8月6日にはロサンゼルス支局の人間がテキサス州エルパソまで出向いて現地取材。この日、鶴田はバック・ロブレイと対戦している。
こうした形で日本テレビは10月の凱旋帰国までに「4種類のスープレックスを使う驚異の新人・鶴田友美」をファンに印象付けたのである。