考えさせられたヌルヌルの問答
「null2」とは、落合氏が掲げる概念「デジタルネイチャー(計算機自然)」を体験できるパビリオンだ。コンセプトは鏡で、人間とデジタル、そして自然が混じり合い、流動的に変化し続けるデジタルネイチャーを表現するため、外観には鏡を模した薄い膜、館内には壁面を鏡、天井と床をLEDパネルで覆ったシアターが設置されている。
パビリオンを覆う鏡の膜は周囲の風景を映し出しているが、ロボットアームや音による振動、風などの影響で微妙に揺れるため、常に波打っているように見える。鏡に覆われた内部も映し出された映像が無限に反射し、これまでにない没入感を味わうことができる。
しかも、映し出される映像の一部は、デジタルID基盤「Mirrored Body」で来場者が作成した自身のアバターである。バーチャルな自分とリアルの自分が無限反射の鏡の中に現れ、変幻自在に別のアバターに変わっていく。まさに、人間、デジタル、自然が混じり合い変化するデジタルネイチャーの世界である。
ちなみに、「null」はコンピューター用語で「何もない」という意味の言葉だ。この「null」と東洋哲学の「空(くう)」という概念を重ね合わせ、「null2」というパビリオン名になったという。ヌルが2回なのは、『般若心経』にある「色即是空 空即是色」の中に「空」が2回出てくるからだそう。

落合氏の「null2」は、これから本格的に到来するであろうデジタルとフィジカルが融合した世界を感覚的に、明示的に表現している。その意味で、とても興味深く、面白い。ただ、こうした映像表現以上に考えさせられたのは、映像コンテンツのナレーションである。
内容は、新しいサピエンスになった計算機と、かつて賢かった人間の対話だ。
「人間は考える葦である」とフランスの哲学者、パスカルが語ったように、人間は考えることのできる動物だったからこそ、ここまでの進化を遂げた。もっとも、考えることができるがゆえに、あらゆるものに意味を与え、さまざまな物語をつむぐようになったとも言える。
宗教紛争をはじめ、リベラルと保守の分断や資本主義を巡る相克など、今起きているさまざまな衝突は、人々が異なる物語が生み出した結果だろう。
ところが、計算機の進化、とりわけAIの登場によって、考えるという部分では人間よりも計算機のほうが優れた存在になった。
そうなれば、難しいことは計算機に任せればよく、人間が難しいことに頭を使う必要はなくなる。いや逆に、人間が考えることをやめ空になれば、人類は一つに団結できるのではないか──。正直、ここまではっきりと語っているわけではないが、それが計算機と人間の問答を聞いた筆者なりの解釈である。