貿易保護主義に潜む盲点
保護主義を好む理由はほかにもあるのかもしれない。
まず、カナダとメキシコが先日示したように、通商問題それ自体であれ、それとは無関係の問題であれ、ほかの国に譲歩を強要することができる。
また非常に戦略的なために補助金の支給に値する技術もある(産業ロビイストが連邦議会に、ひいては納税者に巧みに働きかけ、その種のテクノロジーの定義が拡大されていくのを見ればいい)。
社会の崩壊を防ぐためなら、自力で存続できない産業都市を維持することすら理にかなうかもしれない。
だが、米国の支配階級の大部分はこれとは別の、あまり筋の通らない考えを自らに言い聞かせてきた。
世界における米国の地位を低下させたのは貿易だ、米国の制裁の切れ味の悪さや中国の人工知能(AI)「DeepSeek(ディープシーク)」がスプートニク並みのショックをもたらしたことから、それは今や明らかだ、という考え方だ。
そしてそこから、貿易の正反対のことをすればこのプロセスを(逆回転とはいかないまでも)抑えることができるかもしれないという話になる。
自己批判的に、それゆえ立派な議論のように聞こえる議論だ。
だが、これはいわゆる「安心毛布」でもある。
この考え方にくるまっていれば、地位の相対的な低下は米国の選択の結果であり、従って修正も可能だという見方ができるのだ。
真に誠実な態度は、諸外国にも行為主体性があること、そして米国の地位の低下はワシントンが下したどんな決断よりも、諸外国がここ数十年間に行った選択による面が大きかったと素直に受け入れることではないだろうか。
不当な報復の時代の再来
中国の喪失という物語は数十年にわたって米国政治を狂わせた。
政治家が実は失敗などではなかった「失敗」による汚名を返上しようとしたために、マッカーシズムの台頭やベトナムの惨事に寄与することになった。
もし不当な報復の時代が再来するのであれば、その対価が多少高くつく関税だけで済むことを祈ろう。