(写真:Denzenuch/Shutterstock)
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物価上昇や老後資金、住宅ローンや子どもの教育費――おカネの悩みは本当に尽きない。人生を生き抜くことは楽なことじゃないのだ。これはわれわれ庶民だけの苦労ではない。歴史に名を残すような偉人たちでさえ、みなおカネの問題で悩んできたという。だが、その対処法は常人の想像をはるかに超えるものばかりだ。窮地をしのぎつつ大きな功績を残した先人の逞しさ、したたかさ、時にはいい加減さには、われわれが学ぶべき人生を生き抜く知恵が詰まっている。そのエッセンスを3回にわたって紹介しよう。3回連続の最終回。(JBpress編集部)

*本稿は栗下直也氏『偉人の生き延びかた 副業、転職、財テク、おねだり』(左右社)から内容を一部抜粋・再構成したものです。

日本ダダイズムの嚆矢

 今の日本では食いはぐれない。

 そんなことを痛感させてくれたのが辻潤だ。

 翻訳家であり、エッセイストでダダイストの中心人物としても知られた。近年では妻の伊藤野枝との関係で注目されることも多い。令和4年(2022年)も吉高由里子が野枝を演じたドラマで稲垣吾郎が潤を演じていた(ちなみにあんなにイケメンではない)。劇中ではプラプラしていて何をやって食べているのかわからない人として描かれているが、それは史実通りともいえる。何者かでありそうで、何者でもなく、本人も何者かになろうとしなかった。それが辻潤だ。彼は死ぬまでそれを実践し続けた。

辻潤(不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
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働かない大黒柱

 明治17年(1884年)に、裕福な家で生まれた辻だが実家が没落。苦学して女学校の英語の教師の職を得るものの、伊藤野枝との出会いで人生が大きく変わる。女学校の生徒であった野枝と恋愛関係になり、27歳の時に職を辞して無職になる。

伊藤野枝=撮影日不明(写真:近現代PL/アフロ)
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 当時、辻は母と妹と住んでいた。一家の大黒柱なだけに働かなければいけない。辻はどうしたか。働かない。そのうち、野枝まで転がり込んできたが、それでも働かない。

 もちろん、何もしないわけではない。知人の紹介で翻訳や代訳などを手掛けるが、家計は回らない。

 回らなければ回らせるようにするしかない。自ら出版社に洋書の翻訳を持ち込む。その中のひとつ、チェーザレ・ロンブローゾ『天才論』の翻訳本が版を重ねる。

 ロンブローゾは今ではめっきり聞かなくなったが、イタリアの精神病の研究者で犯罪心理学の創始者といわれる。天才と狂人の類似性を科学的に証明しようとした。「天才と狂人の差は紙一重」とはよく聞くが、ロンブローゾに由来するという説もある。

『天才論』の翻訳本が出版されて以降は、翻訳以外にエッセイなどの原稿依頼も来るようになる。1910年代半ばから10年くらいが辻の職業人としての全盛期になるが、仕事がうまくいくようになったからといって私生活も順調とはならない。ちょっとは食えるようになったかと思っていたら、夫婦生活が破綻する。大正5年(1916年)4月、野枝がアナキストの大杉栄と恋仲になり、家を出てしまう。

伊藤野枝、辻潤、息子の一(辻まこと)(撮影者不詳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
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