物価上昇や老後資金、住宅ローンや子どもの教育費――おカネの悩みは本当に尽きない。人生を生き抜くことは楽なことじゃないのだ。これはわれわれ庶民だけの苦労ではない。歴史に名を残すような偉人たちでさえ、みなおカネの問題で悩んできたという。だが、その対処法は常人の想像をはるかに超えるものばかりだ。窮地をしのぎつつ大きな功績を残した先人の逞しさ、したたかさ、時にはいい加減さには、われわれが学ぶべき人生を生き抜く知恵が詰まっている。そのエッセンスを3回にわたって紹介しよう。(JBpress編集部)
*本稿は栗下直也氏『偉人の生き延びかた 副業、転職、財テク、おねだり』(左右社)から内容を一部抜粋・再構成したものです。
作家をやめて給料取りに?
「飢え死にしちゃうかも」と思ったのだろうか。
平井太郎は第二次世界大戦末期、「転職」を決めた。
新しい職は、戦時体制下、食糧の一元的配給を担った食糧営団の福島県支部長だ。関わっていた翼賛壮年団でのコネだ。平井は東京の豊島区に住んでおり、食糧営団理事の横山敬教が壮年団の豊島区団長だった。
誰もが食うに困る時代。コネを使って転職しようが誰にも咎められないだろうが、平井にとっては大きな決断だった。平井の転職は怪奇小説や少年向け作品で知られた作家「江戸川乱歩」という名を捨て、平井太郎に戻ることを意味したからだ。
戦争でキャリアが崩壊
乱歩は、昭和初期、まぎれもない売れっ子作家だった。
昭和6年(1931年)の月収は印税収入と原稿料で5000円。エリート銀行員の初任給が70円、小学校の先生の初任給が50円前後の時代に5000円である。
この年、平凡社から全集が発刊されたことが強烈な追い風となっていたが、いかにケタ違いに稼いでいたかわかる。
ウハウハだった乱歩の生活を一変させたのが戦争だ。乱歩が書いていた怪奇小説や探偵小説は、今でいう「不要不急」極まりないものとみなされた。
令和のコロナ禍と異なり、「自粛要請」などではなく、トップダウンで白いものも黒くなりかねない時代だ。娯楽モノは出版界から締め出され、文学はひたすら愛国の宣伝機関になった。犯罪を取り扱う探偵小説は雑誌からは一掃され、世の中の探偵作家は科学小説、戦争小説、スパイ小説、冒険小説などに転じた。
実は、乱歩は戦争が始まる前、昭和14年(1939年)にはすでに当局にマークされていた。内務省図書検閲室には、乱歩の名が大きく貼り出されてあり、最も注意すべき作者の一人として監視の対象になっていた。




