吉田司家から横綱に推挙する権限を取り上げ、横綱審議委員会が設立されたのが昭和25年。そして「2場所連続優勝かそれに準ずる成績」という内規が作られたのは33年だった。以降昭和期誕生の横綱18人のうち、連続優勝で昇進したのはわずか3人。残りの15人は準ずる成績で横綱に上がったが、7人も直前2場所での優勝がない。
それが平成以降(1989~)は一転して、ほとんどが連覇での昇進。準ずる成績でも直前2場所のどちらかでは優勝しており、昭和時代よりかなりのハイスコアとなっている。
横綱誕生、昭和の「2年に1人」が平成以降は「3年に1人」に
当然、横綱誕生は昭和期には約2年に1人だったが、平成以降は約3年に1人とペースダウン。両大関が同時に最高位を極めるということが、なかなか考えられない事態となってしまった。
もし、琴桜と豊昇龍が初場所後に横綱昇進を果たせば、前記の北の富士・玉の海以来、実に55年ぶりのこととなる。相撲人気が一層盛り上がることは確実だ。
双羽黒廃業後、急にハードルが高くなったように、横綱昇進にはその時のムードにも左右される面は否めない。常陸山と梅ヶ谷、大鵬と柏戸などは、下の頃からライバルとしてしのぎを削り、両力士を同時に横綱に上げたいという世間の思いが実現したともいえる。
その点、令和7年は、横綱昇進に追い風が吹いている状況だ。10月にロンドン公演を控えているからだ。
海外興行は「公演」と「巡業」の2種類
戦後の大相撲界は、海外での興行も数多く行われたが、「公演」と「巡業」の2種類に区別される。
「海外公演」は相撲協会が主催する公式行事で、外国との国際親善、文化交流を目的とする民間の文化使節団要素が強い。一行の旅費などもすべて協会の負担となっている。